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2016 師走を走る

公園通りのイルミネーション

12月になると、都内の各地で様々なイルミネーションが輝き始める。

渋谷の公園通り一帯では、深い青を基調としたイルミネーションが、街を照らしている。

渋谷公会堂から代々木公園を結ぶ通りは、見物客であふれていた。

ちょうど今日・12月10日はノーベル賞の授賞式、日本の大隅良典さんがその栄誉を受けている日だ。

この青色は、ちょうど2年前の2014年にノーベル賞を受賞した3人の日本人研究者がこの世に送り出した「青色ダイオード」によるものなのだろう。

そんなふうに思って、闇の中に浮かぶ幻想的な光をカメラに収めた。

築地の場外市場

こちらは、築地の場外市場。

まだ正月準備には早い時期だが、歩くのもままならないほどの混雑ぶり。

近くによると外国語が聞こえてくる。

板いっぱいに盛られたウニをおいしそうに食べる中国人女性、スティックに刺した卵焼きをほうばる白人カップルなどが目についた。

築地河岸

場外市場は、築地市場が豊洲に移転しても、この地から移転することはない。

以前駐車場などがあった場所に、築地の仲卸が60店舗ほど入った「築地魚河岸」ができて営業を始めている。

この写真は、築地魚河岸の2棟の建物をつなぐ渡り廊下の上から撮ったもの、画面左側に「海幸橋棟」が見える。

主にプロを相手にする店舗とのことだが、豊洲への移転がストップした現在は、一般客の姿が目立っていた。

お台場海浜公園

こちらは、お台場海浜公園。

毎年12月になると、このあたりには種付けした海苔網が張られる。

区立小学校5年生の野外観察としておこなわれているのだが、今年はまだそんな様子は見られない。

その代わり、何か看板が立っている。望遠で写真を撮ってみた。

あさりを育てている

「アサリを増やしておもてなし」

プランクトンを食べて海水をきれいにするアサリを増やすため、マットを敷いているという。

いったいどれほどの効果があるのか、気になるところだが、なんとしてもいい結果につながってほしい。

なお、学校のホームページを調べると、今年もまもなく、海苔の張り込み作業を行うとのことだった。

船揚げ場の建設中

お台場の観光遊覧船の船着き場の近くで、こんな看板を見かけた。

水陸両用バスの船揚げ場を作っているという。

以前、東京港内で、水陸両用バスが運行したとのニュースを見た覚えがあるが、現在は定期運航はないようだ。

水陸両用バス

江東区の小名木川と旧中川の合流点あたりを航行する水陸両用バス。

亀戸を起点に定期運航している。

バスの前方に見えるのが船揚げ場。

これがないと、水陸を行き来できない。

船揚げ場の場所

船揚げ場の建設場所は、こんなところ。

レインボーブリッジを前方に臨み、目の前には防波堤もある。

東京港内をレインボーブリッジから見る

レインボーブリッジを走っているとき、東京港内を悠然と進む遊覧船の「安宅丸」を見かけた。

江戸時代の将軍の乗る御座船をイメージした船で、日の出桟橋を起点に運航している。

近い将来、東京港を航行する水陸両用バスを、こんなふうにレインボーブリッジから眺めるようになるのだろうか。

このように世の中は、少しずつその姿を変えてゆく。

あと3週間で、また新しい年だ。

 

有明を走っていて見かけた「標識」

有明アリーナ建設予定地

今年はひざの故障でフルマラソンは一回も走れなかった。
まだひざの痛みは続くが、来年2月の京都マラソンにエントリーしたら当選してしまった。

「なんとしても走れるようにしなければ」と、少しづつ走り始めている。

11月3日、お台場周辺を走っていると、こんな標識を見かけた。

2020年の東京5輪で、バレーボールの決勝戦を行う予定で計画が進む「有明アリーナ」の建築予定地に建っていた。

有明アリーナ完成図

これが、完成予想図。

建設費の高騰のため、ボート会場などと共に、見直しが進められている。

建築主として名前が書かれているのは、小池百合子都知事。

木遣橋から見る

運河をまたぐ木遣り橋の上から、建設予定地を見てみる。

工事は全く手つかず、基礎工事も全く行われていないようだ。

今年1月に、総工費は約360億円、施工業者も決まっている。

ところが、オリンピックにかかる予算が当初考えられていたものより、大幅にアップする中で、見直しすることになり関係者の間で協議が行われている。

新設せずに、既設の横浜アリーナを活用するとの案もある。

ということで、標識には来年3月着工予定と書いてあったが、現地は、セイタカアワダチソウが敷地いっぱいに繁茂しするだけで、人の姿は全く見えない。

橋の先には豊洲市場

木遣り橋から反対車線の先を見ると、豊洲新市場の建物が見えた。

こちらも当初は11月7日の移転だったものが、盛り土騒動でオープンのメドは全くたっていない。

ウェイクボードの愛好者が

運河に目をやるとウェイクボードの愛好家が、練習をしていた。

静かな有明地区で、ボートのエンジン音だけが響いていた。

お台場海浜公園

こちらはお台場海浜公園。

ウェイクボードは五輪の新種目に採用されなかったが、お台場では新種目のスポーツクライミングや、スケートボードが行われる予定になっている。

また、トライアスロンと水泳10キロ競技もお台場での開催が、今のところ予定されている。

水泳に関して言うと、実はお台場海浜公園では、夏場の海水浴シーズンに海の中に入って顔を水につけることができない。

水質に問題があるからだ。

数年前から、水質改善に取り組んでは来ていたが、まだまだそんな段階にある。

競技関係者の中には、水質改善が早急に必要と語る声もあると聞く。

今問題になっている新しい五輪会場の建設について、各競技団体は、

後世への遺産として、ぜひ新しい施設の建設を進めてほしいというのが基本的なスタンスのようだ。

確かに、昭和39年の東京五輪で建設された丹下健三設計の「代々木体育館」のように、見事な遺産として、今に残る建物もある。

しかし私個人としては、立派な建物よりも、東京湾の水に顔をつけることができるような環境改善こそ最も優先順位が高いのではないかと思っている。

こちらもそんな簡単に解決するわけではなく、費用も莫大にかかることだろう。

しかし、それこそが未来へ残す遺産として、今、最も大切なものではないかと思うのだが。

どんなものだろうか。

「2年前の現場写真」~問題の豊洲市場

レインボーから見た豊洲市場①

膝の具合が相変わらず万全ではなく、さらに雑用に追われて、全くと言っていいほど走る暇がない。

ブログも1か月更新しないと、先頭ページにCMが入ってしまう。

さて、どうやってブログ更新しようかと考えていたら、「豊洲移転問題」が大きな問題となり、連日テレビ・ラジオで大きく報道されている。

この日の来ることを予想していたわけではないが、お台場・豊洲は私のジョギングコースだったことから、建設中の現場の写真をたくさん撮っていることを思い出した。

今回は、そんな写真の中から、一部この問題にかかわる興味深い写真を見ていただこうと思う。

これは、ランニングでお台場に向かう途中、レインボーブリッジから、建設中の豊洲市場を撮ったもの。
撮影日時は2014年3月10日。

写真左側には東京港の竹芝桟橋などがあり、レインボーブリッジから見ると豊洲市場は、東京港の中に新しく造成されようとする新開地のようだ。

アップで見る豊洲市場

これは、同じ写真から、現場をトリミングしたもの。

問題の土壌改良のための工事が始まって間もなくの写真だ。

配置図

これは豊洲市場の建物の配置図。

この日、地図の左側に見える道路から、ゆりかもめの「市場前駅」の方向に走った。

次の写真は、地図で「水産物仲卸場棟」と書いてあるあたりを撮影したもの。

水産仲卸場予定地

鉄板で区切られた中を、かなり深く掘り込んでいるのがわかる。

画面上部には、東京タワー、そしてその右側に晴海にフェリーターミナルの建物が見える。

あの付近は、2020東京オリンピックの選手村が予定されているところだ。

工事の写真をもう一枚見てみよう。

地下空間を作っている?

鉄板で区切られた中は、かなり深い。

深さ 4~5メートルはありそうだった。

ニュースで見た地下空間は、こうして作ったのかなと思わせる。

もしそうだとすると、ここは盛り土をせずにコンクリートで固めたところになる。

今のところの焦点は、盛り土をしなかったことの影響はどうなのか、それに対する対応はどうあるべきなのかという点にある。

「食の安全」という命にかかわる問題だけに、早急に対応策をまとめ、処置しなければならない。

そしてもう一つ、同時に進めなくてはならないことがある。環状2号線への対策だ。

環状2号線延伸図

これは環状2号線の地図。

虎ノ門ヒルズから新橋駅の南を通り築地から有明へと通じる道で、東京オリンピックの際には、並行して走る晴海通りと共に中心的な役割が期待されている。

問題は、この道のために新たに架橋された「築地大橋」周辺の工事がどうなるかという点にある。

豊洲大橋

この写真は、「水産仲卸場棟」建設予定地から豊洲大橋を撮影したもの。

豊洲大橋は、建物配置図でもわかるように豊洲市場に入る直前の橋で、すでに完成している。

築地大橋

そして、こちらは築地大橋。

隅田川の一番下流に位置する橋で、この写真は隣の勝鬨橋の下から撮ったもの。

すでに橋の塗装工事なども終わっている。

ところがこの橋を渡るには、築地市場を通らなければならない。

新橋から築地市場の地下へ

この写真は、新橋から浜離宮の前を通って築地市場に向かう道路で撮ったたもの。

2014年3月11日の撮影だ。

前方に築地市場の青果門が見える。

道なりに行くと、この先、左手に朝日新聞本社屋、築地がんセンターの建物などが並んでいる。

実はこの写真は、この道路の下で行われていたトンネル工事を記録したもので、写真右手の築地市場の下を掘り進んでいるとの看板が出ていた。

築地大橋は、その先にかかっているのだ。

もう一度前の写真を見ていただきたい。

築地大橋を渡るには、築地市場下のトンネルを通り、橋の前で地上に出るための道路工事が必要になる。

その工事は築地市場の中で行わなくてはならない。

つまり、築地市場の移転が進まなければ、その工事も進まない。

問題が紛糾して長引くと、環状2号線の工事にもかかわってくる。

果たしてこうした問題に、東京都と関係者はどんな知恵を持って対応するのか。

情報を正しく伝えてこなかった行政のツケは、大きい。

荒川付近~ウォータースポーツの風景

新小松川橋付近

両ひざに痛みを感じて走れなくなって、半年以上にもなる。

ようやく足のの痛みも少なくなり、散歩の途中に時折軽めのランもできるようになってきた。

この日は荒川の右岸から新小松川橋を渡って、旧中川の堤まで来ると、荒川の上流に向かって漕ぎ進むボートの一団を見かけた。

ボートで上流へ向かう姿

望遠で撮影すると、こちらは女性2人のクルー。

このほか、エイトやフォアなと10艇近いのボートが、滑るように水上を進んでいった。

荒川の上流には、戸田のボートコースがあり、はるか昔に体育の授業でエイトのボートに乗ったことがある。

そのとき、私も含めた8人の素人が一生懸命漕いでいたその横を、一人乗りのボートが軽々と抜いていったという残念な思い出がある。

この日、見かけたボートの一団は、どうやらかなりのレベルの人たちらしく、指導者と思われる人が乗ったエンジン船がボートの後を追いかけていた。

荒川下流域で水上スキー

これは、上の写真を撮ったところとほぼ同じ場所で撮影したもの。

ボートの後部にできる波を利用してプレーする「ウェイクボード」の練習のようだ。

お台場では、練習している様子をよく見かけたし、大会も見かけたことがある。

波に乗ってアクロバティックなジャンプをする競技で、見ていてもとても華麗で若者に人気が出そうなスポーツだ。

見事な腕前

このジャンプの後、この人は転倒。
ボートはすぐに停止し、選手を再度けん引するためにUターンしていった。

2020年の東京五輪では、サーフィンが追加種目に選ばれているが、この競技もいつか五輪種目になるかもしれない。

こうして、夏を迎えて、荒川周辺では、ウォータースポーツをする人たちの姿が目立つようになってきた。

東大島駅ホーム下の水域に

ここは隅田川とつながる運河の小名木川と、荒川の支流だった中川が交わるところ。

画面左側が小名木川の河口で、正面が旧中川の流れ。

旧中川は、この先でせき止められているため、水面はとても穏やかだ。

このため、ボートやカヌーの練習には絶好の場所ということもあり、休日にはカヌーやボートの練習をする姿がよく見られる。

カヌーを楽しむ姿が

都営新宿線のホームは、中川の水面のちょうど真上に作られている。

そのホームの下を望遠で撮影したものが、この写真。

カヌーを楽しむ人たちが、たくさん見える。

岸辺には、ボートを収容する艇庫がいくつかあるが、その近くにこんなものを見つけた。

江東区報

地元出身の女性が、リオのパラリンピックの出場を決めたことを知らせる「区報」だ。

この記事によると、この女性は、中学から続けてきたカヌー競技を高校の時のけがで断念。

しかし、リハビリを経て、2年前からパラリンピックへの出場を目指して、ここで練習を続けてきたという。

そして今年5月、ドイツで開かれた世界大会でリオのパラリンピックへの出場を決定した。

現在は大学の1年生だという。

ちょうど今、リオ五輪での日本選手の活躍ぶりが、連日熱く伝えられている。

今回の大会では、オリンピックでの活躍を夢に見て、その実現に向かって努力を重ねてきた様々な青春群像に、たくさんの感動をもらっている。

スポーツは素晴らしい。

そして、夢に向かって努力する姿は、もっと素晴らしい。

と同時に、自分たちの若いころと比べ、身近にスポーツをする環境はとても充実してきていることも感じる。

都内にこんなにウォータースポーツの環境が整ってきているのだと、改めて実感する。

リオのパラリンピックは9月7日から12日間、このうちカヌー競技は9月14日から15日に開かれるという。

パラリンピックにはスポーツのすばらしさのほかに、五輪に負けないヒューマンストーリー・人生の物語がある。

その活躍ぶりを見て、五輪に負けない拍手を送りたい、と思う。

小津安二郎が生まれた町

誕生の地の看板

もう何年も前のこと、東京・深川を走っていていたとき、こんな看板と出会った。

あの「東京物語」をはじめ数々の名作を監督した、小津安二郎の誕生の地を案内するものだった。

その時は、この写真を撮ったまま通り過ぎたのだったが、最近、深川を走っていて小津安二郎の足跡を紹介する施設に出会ったので紹介したいと思う。

小津の誕生地

小津安二郎誕生の地は、現在の「江東区深川1-8-8。

看板が立っているのは、門前仲町の交差点を北上し、清澄通りをしばらくいったあたり。

生家は肥料問屋で、伊勢商人として手広く商売をしていた名家・「小津三家」の一族だという。
看板のある所からしばらく北上すると、「奥の細道」ゆかりの場所がある。

奥の細道 出立の地

芭蕉の「奥の細道」旅立ちの地として知られる「採荼庵(さいとあん)」があった場所だ。

採荼庵とは、芭蕉一門の杉山杉風(すぎやまさんぷう)の別邸の名前、隅田川と結ぶ運河であった仙台掘川に面したこの付近にあったとされる。

杉山杉風の家業は幕府御用の魚問屋で、この地にあった別邸は間口27m,奥行きが36mもあったというが、今は仙台掘川のたもとに小さな小屋と芭蕉像があるだけだ。

芭蕉は元禄2年、ここから船に乗り、隅田川に出て千住に向かい、「奥の細道」へと旅立った。

以前紹介した小名木川をはじめ深川には運河が多く、江戸は水運で支えられた都市であったことがよくわかる。

余談になるが、ネット上で調べていたら「女優の山口智子さんは杉風の子孫にあたる」と書かれていた。(「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」)

世界の小津

小津はこの地に1903年(明治36)12月12日に誕生、1963年(昭和38)12月12日、つまりちょうど誕生日の日に60年の生涯を閉じている。

小津少年は10歳の頃松坂に移り、中学に進む。

しかし上級学校に合格することができず代用教員をしていたが、1年でやめて上京。

19歳の夏、松竹蒲田撮影所に撮影助手として入社し、映画人としての人生を歩むことになる。

叔父が鎌田撮影所の地所を松竹に貸していたという縁があったのだという。

古市場文化センター

小津は24歳で監督に昇進後、東京物語をはじめ数々の名作を世に送り、亡くなる前年の1962年(昭和37)には映画人として初めて芸術院会員となっている。

ローポジションからの撮影、カメラの固定、小道具類も吟味して一級品を使う・・・等々「小津調」と言われる映像の世界を作り上げ、

世界の映画人にも多くの影響を与え、今日でも世界最高の映像作家として高く評価されている。

私が、つい最近訪ねたのは、この地図で富岡八幡宮の下方に書かれた「古石場文化センター」。

内部に「小津安二郎コーナー」があるというので入ってみた。

原節子

彼の足跡や様々なエピソードが紹介されていたが、著作権の都合上、カメラで撮影することはしなかった。

展示の中で印象的だったのは、なんといっても

小津作品に欠かせない女優・原節子(1920年6月17日~2015年9月5日)の写真や様々なエピソード。

原節子は、2000年、キネマ旬報で行われた「20世紀の映画スター女優編」で日本女優の第一位に選ばれている。

小津安二郎、原節子  ともに生涯独身であった。

展示の中には

「周辺では、二人の仲を取り持とうとしたが、それが実を結ぶことはなかった」というものもあった。

あれだけ自作のヒロインに抜擢した小津が、原を憎からず思っていたことは想像できるし、周囲が気をもんだこともわかる。

しかし二人は互いに独身で生涯を終える。

原節子が亡くなったのは2015年、95歳だった。

そしてその原節子が、女優として活躍することをやめ、一切の公の場所から姿を消したのは、1963年。まだ43歳の時だった。

1963年は、小津安二郎が60歳で亡くなった年だ。

それからの52年間、原節子は世間にその姿を現すことは一切なかった。

まさに「生きながら伝説の女優となった」のだった。

二人の間に、いったいどんなストーリーがあったのか、それともなかったのか?

大人の恋物語があったような、気もするが。

このブログを書くのに原節子の出演作品を調べていたら、 

1955年(昭和30)の作品に「ノンちゃん雲に乗る」があった。主演の鰐淵春子さんのお母さんの役だった。

小学校の講堂で見た記憶があるのだが、覚えているのは鰐淵春子がかわいかったことだけで、原節子がお母さん役で出ていたのは全く記憶になかった。

団塊の世代にとっては、そんな印象を持っている人も多いことだろう。

小津橋

古石場文化センターを出て、裏手にある「古石場川親水公園」を歩く。

古石場という地名は、江戸城築城に際し、石置き場として使われたところに由来するという。

そして出会ったのは「小津橋」。

松坂出身の商家であった「小津の生家」とゆかりの深い橋という。

江戸時代から続く「深川」の古い歴史と、改めて出会った気がした。
プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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