鞆絵小学校が消えていた

先日、数年ぶりに港区虎ノ門にあった鞆絵(ともえ)小学校の前を通ると、校舎がすべて消えてなくなっていた。

鞆絵小跡地
これが、その様子だ。
テレビ東京の社屋のすぐ近く、周辺はビジネス街だ。

もちろん、生徒数が減って、だいぶ前に廃校になっていたのは知っていた。
ただ、鞆絵小学校が、特別の歴史を持つ小学校だから、跡形もなくなったのを見て驚いたのだ。

記念碑
これは、日比谷通りの御成門交差点にある記念碑。

「日本近代初等教育発祥の地」と書いてある。
つまり、日本の公立小学校は、ここで生まれたというのだが、
その小学校こそ、鞆絵小学校なのだ。
オペラ歌手の三浦環(1896年卒)も鞆絵小で学んでいる。

説明板
説明を読んでみよう。

「明治3年に、東京府が府内の6か所に開設した小学校が日本における小学校の初めで、その第一校がこの地にあった。小学校は、翌明治4年に今の虎ノ門3丁目に移ったが、それが鞆絵小学校の前身」ということが書いてある。

校門
鞆絵小学校が、桜田小学校や桜小学校とともに、御成門小学校に統合されたのは1991年、ちょうど20年前のことになる。

その後、ここには校舎を利用して港区のエコプラザが置かれ、環境について考え行動する拠点として活用されていたので、何回か訪れたこともあった。

入り口も、その当時の面影は全くなく、さびしい限りだ。

古い記事を探してみると、2009年の「新橋経済新聞」に、校舎の解体が近く始まるというのがあった。

解体した跡地には、気象庁の建物と、港区の教育センターができるとあった。
更に、この隣の地区では、森ビルが大規模な再開発を計画している。

1号線そばの都心

ビル化による都心の住民の減少、さらに少子化も加わって、私の子供のころと比べて小学校は激減してしまった。

あの頃は近所に子供たちがたくさんいて、毎日夕方まで、缶けり、かくれんぼ、三角ベース、ベーゴマ、水雷艦長と、にぎやかな子供たちの声で溢れていた。

今、都心部で子供たちが集まって遊ぶ姿を見ることはほとんどない。
もちろん、遊びの内容や環境が当時とは大きく変わっていることもあるが、児童の数が減ったことは大きい。

様々な世代の人間がバランスよくまじり合って暮らすというのが、地域共同体のあるべき姿だろうと思う。

子供たちの声が聞こえない町は、どこか、いびつな街に思える。
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ともえ学園

黒柳徹子さんが
転校した「ともえ学園」とは違うのですか?

Re: ともえ学園

> 黒柳徹子さんが
> 転校した「ともえ学園」とは違うのですか?

黒柳徹子さんが通ったのは自由が丘にあった私立の学校。鞆絵小学校は虎ノ門にあった公立の学校ですから違います。
この鞆絵小学校は、あのアインシュタインが訪日の折り、この鞆絵小学校に授業参観に訪れるなどその長い歴史の中で、幾多のエピソードがあった学校です。卒業生にとっては、とても、さびしいことだと思います。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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