杉田玄白といえば「フルヘッヘンド」

港区愛宕神社下のお寺に杉田玄白の墓があるのは、これまで何度もジョギングで通っていたので知っていたが、今回、初めて訪れてみた。

その途中、御成門の慈恵医科大病院のところを走っていると、こんなものを見つけた。看護婦教育所
「看護婦教育所 発祥の地」と説明があった。

大学のHPによると、「慈恵医大の祖ともいうべき高木兼寛が、貧しくて治療を受けられない人を救うため、有志共立東京病院を設立。・・・特筆すべき事業として、明治17年、米人リード女子を招き、構内に看護婦育成の業を起こした」とある。これが日本における近代看護教育の始まりで、第一回生はわずかに5名であったという。
慈恵医大裏
杉田玄白の墓に向かう途中に医学関係の碑に出会うのも何かの縁、写真に収め、愛宕下に向かう。

愛宕下
画面左に、NHKの放送博物館の建物が見える。右に行くと、すぐに愛宕神社。

前方に見えるトンネルを過ぎて、すぐ右へ曲がると、右手にお寺が見えてくる。

栄閑院
杉田玄白(1733~1817)が眠る栄閑院。

杉田玄白は小浜藩医で、「解体新書」翻訳の苦心談を回想した「蘭学事始」を書き残した人として知られる。

墓石
玄白は、オランダ語で書かれた人体解剖図解書「ターヘルアナトミア」を手に入れるが、それと時をほぼ同じくして、千住・骨ガ原(小塚原)で、腑分けに立ち会う機会を得る。
同じ志を持つ前野良沢と、浅草山谷町(いわゆる山谷)で待ちあわせ、一緒に出かけるが、そこで見たものは、古来の医書に書かれたものとことごとく違っていた。

一方「ターヘルアナトミア」には、人体が正確に記述されている。

玄白
玄白は、前野良沢、中川淳庵とともに、その翻訳に取り組むことになる。

有名なエピソードがある。
「鼻」について、「フルヘッヘンドしたものである」と書いてあるのだが、この「フルヘッヘンド」がなかなか解らない。

良沢が長崎から買ってきた本には「木の枝を切り取ると、そのあとがフルヘッヘンドとなり」「庭を掃除すると、ごみと土が集まってフルヘッヘンドする」と書いてある。

玄白が考え付いた答えは「堆(うずたか)くなる」。

玄白は、その時の様子について、「皆、それに違いないと話が決まり、その時のうれしさは、たとえようのないほどだ」と書いている。

慶応義塾発祥地
中央区明石町の聖路加病院の近くにある碑。

実はこのあたりは、大分・中津藩の屋敷のあった場所。
中津藩医の前野良沢はここに住んでおり、腑分けの翌日、ここに集まり翻訳がスタートしたのだ。
解体新書

そして、福沢諭吉も中津藩士であり、慶応義塾をこの地でスタートさせたのだった。
玄白たちよりも、時代は80年近く後になるが、「蘭学事始」とは大きな因縁がある。

玄白が書き残した「蘭学事始」が一時期、世の中から姿を消してしまったのだが、発見された時にそれを印刷し、偉業を再び世の人たちに知らしめたのが、福沢諭吉だったのだ。

この碑のところには説明が全くないので、二つの碑の関連がわからなかったが、今回調べてみて初めて分かった。

胸にストンと落ちた。
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ターヘルアナトミア

夫の話ですが、大学受験だというのにあまり勉強もせず試験に臨んだのですが。
試験の内容が事前によく見ていたターヘルアナトミアの解説だったそうです。
それでうまくいったと言ってましたが、近くにあったなら玄白のお墓に連れて行きたかったと思いました。

力道山はカメちゃんとは同時代でしたからよく見ましたよ。
でも、日本の中心にいる人は一歩進んで会うこともできたんですね。

Re: ターヘルアナトミア

REIさん、つやひめのおかげで、毎日、元気で過ごしています。
玄白さんのお墓は、愛宕の真福寺のすぐ裏手に当たります。今度機会があったら、ご案内しますね。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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