目黒に「三田と春日神社」がある理由

目黒区の三田に住むエッセイの達人・丸谷才一さんの本を読んでいたら「タクシーの運転手さんでさえ、港区の三田しか知らない人がいる」と嘆く文章に出会った。

知名度でいうと、港区三田のほうがまさっているようだが、それはともかく、この両者には、実は深い関係があるのをご存知だったろうか?

キーワードは「春日神社」。
目黒区三田には、港区三田と同じように「春日神社」があり、二つの神社の祭祀を執り行っているのは港区春日神社の神職なのだ。

目黒地図
目黒から恵比寿に向かうJRの線路の西側に、三田という地名と春日神社との表記が見える。

目黒駅前交番
目黒通りを白金方向から来ると、目黒駅ビルの左側に目黒駅前交番がある。ここを過ぎて最初の交差点を右折すると三田の方向だ。

余談になるが、目黒駅があるのは品川区。したがってこの交番も大崎警察署の管内だ。
さらに、品川駅は港区にあるというのも有名な話。

春日神社
角を曲がって700メートルほど進むと左手に神社が見えてくる。

三田春日・氏子
「目黒三田町会」との文字が見える。

実は、毎年9月中旬に行われるここの神社の例大祭には、港区の春日神社の神職が行って、祭祀を執り行っている。
それはどういうことなのか、港区三田の春日神社で聞いてみた。
結論から言えば、港区三田に移る前は、目黒区の三田に春日神社はあったのだという。

春日神社・明治時代
この絵は、明治時代に出版された「東京名所図会」に載っている春日神社。

そもそも神社の由緒によれば、958年(天徳2年)武蔵の国司・藤原正房が任国の折、武蔵国荏原郡三田邑に氏神を遷座したのがそもそものはじまりという。

「目黒区史」には「10世紀初めの頃の『倭名(類聚)抄』のなかに、武蔵国荏原郡に御田(みた)郷があったことが認められる。この御田とは、朝廷の直轄料地・屯田(みた)に由来する郷名で、後世、三田に改められたのだろう」と書いてある。

つまり当初は、今の目黒区三田に春日神社が作られたと考えられるのだが、
その後、神社は天文年間(1533~55)に、現在の港区三田に遷座する。

そして残った目黒区三田の人たちは、それ以降も春日神社を地域の産土神としてお守りしてきたということのようだ。

何故、春日神社が今の目黒区三田の地に建てられ、そしてどのような理由で現在地に移転したのか、細部については不明なところもあるという。

しかし、目黒と港区の二つの春日神社のこれまでの結びつきからして、目黒区三田は、港区三田にとってルーツを同じくする田舎のような存在ということになるのだろう。

因みに港区の春日神社の由緒書には、鎮座地は港区三田2-13-9、兼務社として目黒三田春日神社と記載されている。

そんな歴史を知ると、目黒区の三田が急に親しく 感じられてくる。

不思議なものだ。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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