鬼平犯科帳を歩く

「犯科帳を歩く」幟

墨田区内を走っていて、こんな幟と出会った。

”犯科帳を歩く 
 長谷川平蔵 すみだ ゆかりの地”

長谷川平蔵は、ご存知、池波正太郎の「鬼平犯科帳」の主人公。

そしてこの写真の右側に見えるお蕎麦屋さんの横に、こんな案内板が立っていた。

茶店「笹や」

「鬼平情景」というタイトルの下に  「弥勒寺門前 茶店 笹や」とあり、
こんなことが書かれている。

”(笹やは)平蔵が、放蕩無頼の日々をおくっていた頃をよく知る お熊ばあさんの店です。

今は七十を越えていますが、
若い頃は平蔵に毎日のように酒をのませ 泊めてやった きっぷの良い世話好きですが  

一度は平蔵の寝床にもぐりこんで、逃げ出された苦い思いをしています。
(中略)
平蔵が盗賊改方の長官になってからは、その出先のような役を担い、
連絡や見張りの場所はもちろん、隠れ家にもなり、
作品の多くに登場します”

小説に描かれた情景が紹介されているので、普通の歴史案内板とは一味違う。

小説に書かれた架空の店でありながら、

登場人物たちのやり取りに親しみを感じるうちに、江戸の暮らしを自分も体験しているような気になってくる。

平蔵の屋敷跡

ここは、江東区菊川。

この大きな通りは「新大橋通り」で、地下鉄・都営新宿線の「菊川駅」はすぐ近くだ。

写真右側の建物は歯医者さんの建物だが、

家の前に、ここが長谷川平蔵と遠山金四郎の屋敷跡だと書かれた碑が建っている。

碑が建っている

碑には、こんなことが記されている。

”長谷川平蔵は400石の旗本。
父の屋敷替えにより、平蔵が19歳であった明和9年(1764)、築地から本所三の橋通り菊川の1200坪余りの屋敷に移る。

平蔵は火附盗賊改方として、通例2~3年の任期のところ没するまでの8年間在職。

この間、職業訓練を以って社会復帰を目的とする「人足寄場」を石川島に実現。
(この話は、2011/11/13にも紹介している http://golby.blog.fc2.com/blog-date-20111113.html )

寛政7年(1795)病のため、本所の屋敷で没、50歳”。

500石900坪

そして、この地図は江戸末期安政3年(1856)のもの。

地図には「遠山金四郎」の名前が見える。

”平蔵の孫の時代、弘化3年(1846)に屋敷替えがあり、この場所は

江戸町奉行 遠山左衛門尉景元(遠山金四郎)の下屋敷となった。

遠山は天保11年(1840)に北町奉行に任命され、天保14年に罷免されるが、

水野忠邦失脚後の弘化5年(1845)、南町奉行に任命される。

天保の改革で弾圧をうけた歌舞伎を,浅草猿若町に再生したことは金四郎の尽力によると伝えられる。

この地は、江戸の町人感覚にも通じ、治安に貢献した二人のゆかりの土地です”

金四郎が庶民の味方、名奉行として今に語り継がれるのも、水野忠邦の奢侈禁止令て芝居小屋が廃止されようとした際これに反対、

それに感謝した関係者が「遠山の金さん」ものを盛んに芝居で上演したからだといわれている。

遠山金四郎の石高は500石、古図には屋敷の面積が900坪と記されている。

屋敷があったと思われる場所を歩いてその広さを体験してみた。

すると、間口は私の歩幅で64歩(約45メートル)、奥行きは95歩(約67m)もあった。

実際に歩いてみて、二人がいかに広い土地に暮らしていたのかがわかった。

皆さんのお宅の、間口・奥行きと比較してみて、果たしてどうだろうか。

両国橋付近の地図

これは、現在の両国橋付近の地図。

隅田川の左岸、橋を渡ってすぐ右手のところに「与兵衛鮨発祥の跡」と書かれている。

江戸時代、江戸前の握りずしを考案した「華屋与兵衛」が店を構えていた場所だ。

華屋与兵衛跡

大きな通りから路地に入ると、こんな案内板が見えてきた。

”江戸前の握り鮨ができたのは、約200年前の文政年間、小泉与兵衛が考案したといわれています。

当時は大阪風の押し鮨ばかりだったところを、
酢でしめた飯の上に、ワサビを挟んでネタをのせて握られたものを、屋台で立ち食いするというスタイルは、一挙に江戸っ子の人気となりました。

与兵衛は屋台、裏店での店売りを経て「華屋」という屋号の店を開き、大繁盛しました”


「華屋与兵衛」という名前のチェーンの飲食店を見かけるが、その名はここから来ているのだろう。

路地の左右に立札

「与兵衛すし跡」の案内板がある路地、

その案内板のちょうど反対側に「鬼平情景」の案内も立っていた。

料亭「井筒」

料亭「井筒」

「井筒」とは「麻布ねずみ坂」に登場する料亭で、この辺りにあったとされ、
説明にはこんなふうに書いてある。

”この小説には裏の世界の人間がたくさん出てきます。羽沢の嘉兵衛もその一人です。
表向きは「井筒」という大きな料亭を経営していますが、裏では、盛り場ににらみを利かす香具師の元締で、
江戸市中の暗黒街で知らないものはいません”

この説明を読んでいると、この辺りを江戸の人たちが行き来していた様子が想像され、江戸時代を生きた人たちに不思議な親近感を覚えてしまった。

近くの料亭
 
近くで割烹の店を見かけた。

江戸時代にもこんな様子の店はあったのだろうか、

平蔵や金さんたちも、こんな店の「のれん」をくぐったのだろうか。

そんな思いをめぐらせながら、下町の道を走り、家路についた。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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