福岡マラソンへ

参加者の受付

11月9日に開かれた「福岡マラソン」を走ってきた。

前日、福岡の中心・天神の駅近くにある福岡市役所裏で、参加者の受付をする。

参加ランナーの数は、1万人。応募は5万人にも上ったというから相当な倍率になる。

福岡には今から30年余り前、4年ほど暮らしていたから、土地勘はまだ残っているかと思っていたが、町の変貌は驚くほどだった。

空港まで地下鉄が走るようになっていて、博多駅までわずか2駅。

街並みもきれいに整備され、昔の面影は薄くなってしまった。

大丸デパートの中にあった、「赤のれん」というお気に入りの博多ラーメンの店もなくなっていた。

相撲のふれ太鼓

今年も博多は「相撲の季節」を迎えていた。

本場所が始まることを、「触れ太鼓」が市内のあちらこちらを巡り、告げてゆく。

福岡に晩秋を告げる歳時記だ。

地下鉄のポスター

地下鉄で、こんなポスターを見つけた。

福岡市長選挙への投票を呼び掛ける啓発ポスターだ。

野球ファンの方なら、ポスターに書かれた語句が何であるのか、すぐお分かりになるはず。

日本シリーズ後に全国各地のイオンやダイエーの店舗で流れていたあの歌・『ダイエーホークス』の応援歌だ。

福岡市民なら誰でも知っているこの曲の替え歌で、投票率のアップを目指そうというものだ。

最後のフレーズ「我らの 我らの ダイエーホ(オ)ークス」のところは、覚えている方も多いのでは。

生の松原 元寇防塁

マラソンのスタートは、翌日の朝8時20分。

今回も、懐かしい街並みを撮影しながら、のんびりと走ろうと計画していた。

ところが荷物を預けて、いざ走り出したところ、カメラの電池が切れていることが判明。

楽しみにしていた市内の街並みや、博多湾の美しい景色を撮影することはできなかった。

元寇防塁のすぐそばを走りながら、写真を撮影できず残念な思いだった。

そこで走った翌日、電車に乗って、生の松原(いきのまつばら)に今も残る「元寇防塁」を再び訪ねた。

この遺跡は、今回のコースのすぐ近くにある。

私が福岡で暮らしていた当時、元寇の弘安の役(1281年)からちょうど700年という節目を迎えていたこともあり、訪ねたことがあった。

博多湾を望むと正面に、作家・檀一雄が一時暮らしていた能古島(のこのしま)や玄界島を望む松林の一角に碑が建っている。

そのすぐ近くで、太極拳の稽古に励むおばさんの姿があった。

竹崎季長

元寇が、博多湾に侵入してきた1回目は1274年(文永の役)、それを受けて時の鎌倉幕府は九州の御家人に命じて博多湾の海岸線に防塁を築かせる。

この付近の防塁を築いたのは肥後(熊本)の竹崎季長。

彼がその防塁の前で馬に乗っている姿を描いた「蒙古襲来絵詞」が今に残っている。

その絵巻物の一部が陶板になって、防塁の前に展示されていた。

700年余前の合戦の現場

これが、その防塁。

竹崎季長は、文永の役から7年後の1281年、この防塁を盾にして元軍と戦い奮戦する(弘安の役)。

この戦いの中で、歴史上名高い「神風」が吹き、元軍は壊滅的な打撃を受ける。

日本は国土を激しく蹂躙されることはなかった。

それから730年余り、

今は、静かに波が打ち寄せるだけの、穏やかな景色が広がっている。

しかし、この場に立ってみると、700年も前の出来事が実感を持って感じられる。

人間が生きてきた「とき・時間」「歴史」に思いをはせるひとときとなった。

そして、防塁を訪ねた後に、

「軍師官兵衛」ゆかりの福岡城と、城跡にかつてあった平和台球場の今を訪ねた。

その様子は、次の機会にご紹介したい。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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