馬込文士村

村岡花子が暮らしたまち

先日、大田区南馬込の商店街で見かけたのぼり旗。

この幟で、NHKの朝ドラ「花子とアン」のヒロイン・村岡花子が暮らした街であると知った。

馬込は大正の頃から、数多くの作家たちが暮らした所として知られている。

地図・馬込文士村

今から5年ほど前、その「馬込文士村」一帯を走り、著名作家の旧居跡を訪ねたことがあった。

この地図は、当時、JR大森駅前に立っていたもの。

石坂洋次郎、川端康成、萩原朔太郎などの名前が見えるが、まだ「村岡花子」の名前は見えない。

川端康成旧居跡

これは、ノーベル文学賞を受賞した川端康成の旧居跡に建っていた案内板。

「人生劇場」で知られる尾崎士郎の誘いで馬込に移り住んだと書かれている。

”無口で人付き合いの苦手な性格だったが、文士たちが多く住んでいたので、尾崎たちの訪問をたびたび受けた”
とも紹介されている。

先日、”花子を語るトークイベント”が大田区で開かれ、テレビでその様子が紹介されていた。

その時のゲストの1人・花子の孫で作家の村岡恵理さんは、大田区長との対談の中でこんな話をしていた。

”花子が暮らすようになった当時、大森海岸の埋め立ても進んでおらず、近くに海水浴場もあった。

川端康成も誘った尾崎士郎が「大森は暖かいからいいぞ、皆おいで」と作家たちに声をかけた”のだという。

もっとも、花子がこの地に暮らすようになったのは、花子のご主人の印刷会社が横浜と銀座にあって、交通の便がよかったこと、

花子が尊敬していた歌人の片山廣子が馬込に住んでいたこと、等の理由が大きかったと話している。

尾崎士郎

尾崎士郎の旧居跡に建っていた案内板。

”彼は人に愛されすぎるのが唯一の欠点ともいえる男で、馬込にやってきた文士たちがかわるがわる訪ねてくる。

そして文士村の出来事はたちまち彼の書斎に集まり、そして村中に伝わり、彼には「馬込放送局」との呼び名がついた”と書かれている。

宇野千代の紹介

そして、当時、尾崎士郎と一緒に暮らしていたのが、恋多き人・宇野千代。

はじめて稼いだ原稿料で、農家のわらぶき納屋を改造した家を建てた ことが紹介されている。

宇野千代は、その後、東郷青児、北原武夫といった人たちと恋の遍歴を重ねる。

ウィキペディアには、

「結婚、離婚を繰り返すたびに家を建て替え、数えてみると11軒になった」とのエピソードが紹介されている。

この場所が、「何かというと家を建てたくなる彼女の癖のはじまりでした」と、案内板に書かれてあった。

尾崎・宇野邸跡付近

そして、ここが尾崎士郎・宇野千代の旧居があった付近。

当時、このあたりが大根畑であったという面影は全くない。

文士村を紹介するサイトを見ると、

馬込文士村には、そのほか

北原白秋、高見順、三島由紀夫、三好達治、山本周五郎 等々日本文学史にその名を遺した数々の作家たちが暮らしていたとのこと。

5年前、大森駅前の地図にはそんな作家たちのことは紹介されていなかった。

村岡花子の人気で馬込文士村が改めて注目される今、

文士村ゆかりの作家たちの情報を充実させてくれれば、再び訪ねたいと思うのは私だけではないだろう。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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