三社祭へ

隅田川 テラス

三社祭の期間中、久しぶりに浅草まで走った。

走るコースは、いつものように隅田川の両岸に整備された「隅田川テラス」。

両国国技館に近いところには、こんな「相撲の決まり手」が欄干に施されている。

今場所は、「遠藤」人気などで、満員御礼が出る盛況とか、
結構なことだが、三横綱がすべてモンゴル出身というのが寂しい。

隅田川のボートレースの写真

隅田川テラスには、季節に応じて隅田川ゆかりの浮世絵などが飾られている。

これは、昭和20年代に隅田川で行われたボート競技の写真。

説明には、

「言問橋の上空から撮影したもののようだ。

よく見ると『WELCOME CAMBRIDGE CREW』 という看板が付けられている。

昭和29年の全日本選手権にケンブリッジ大学を招待しているので、その時の記念絵葉書かもしれない」

と書かれている。

隅田川でこんな光景が見られたら、もっと東京という町の魅力が高まりそうな気もする。

各町内の神輿

勝鬨橋から、佃大橋、中央大橋、永代橋、隅田川大橋、清洲橋、新大橋、両国橋、蔵前橋、厩橋、駒形橋、そして吾妻橋まで隅田川テラスを遡って来ると、いよいよ浅草だ。

赤く塗られた吾妻橋を渡って、東武浅草駅前に来ると、神輿に出会った。

この日は、各町内の神輿が浅草神社でお祓いを受け、各町内を渡御する日、

浅草周辺の40余町の神輿が街を練り歩いた。

伝法院通り

伝法院通りは、歩くのもままならないほどの混みよう。

その中を神輿がゆっくりと進んでゆく。

外国人観光客の姿がとても多いのも印象的だった。

浅草神社

人ごみの中を潜り抜けるようにして、浅草神社境内を訪ねた。

現在の社殿は、徳川家光が慶安4年・1649に寄進したものとのこと。

そもそも「三社祭」とは、一体どんな由来があるのか、

神社の前に由緒が書かれていたので簡単に紹介しよう。 それによれば

”628年、隅田川で漁師の兄弟が漁労中、人形の像が網にかかった。

これはいったい何なのだろう?

郷土の文化人に見せたところ、これは観音菩薩の尊像であるとして、その人(土師氏)は自宅を寺に改め、その観音像を祀るようになった。

これが浅草寺の起源で、

浅草寺の創始者であり浅草発展の功労者である三人を祀ったのが三社権現社、現在の浅草神社”

ということになる。

こんなことは「三社祭のイロハのイ」なのかもしれない、
しかし、実は私はこれまで知らなかった。

三社祭川柳

川柳の創始者といわれる柄井川柳は、浅草の近くに住んでいたということもあり(http://golby.blog.fc2.com/blog-date-20120515.htmlをご覧ください)、

境内には、三社祭をテーマにした「川柳」の秀句が展示されていた。

川柳

「怖そうな人と肩組む三社祭」

数年前までは、それこそ「怖そうな人」が裸に近い格好で神輿の上に乗り、男気を見せるという姿も見られた。

しかし「神輿は移動神社であるので、神輿の上に乗るのは厳禁、もってのほか」ということで、最近ではそんな光景は殆んど見られない。

「怖そうなのは顔だけであってほしい」。

祭りに参加する人も、

祭りを見人も、きっとそんな思いであるに違いない、と私は思う。

「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉は、江戸の昔の美意識だと思うのだが、皆さんはいかがだろうか?




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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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