町なかのデザイン~寄席文字

金杉橋から古川を見る

JR浜松町駅に近い金杉橋の上から、古川の河口方向を見た写真。

いつも、屋形船が何艘も停泊している。
写真奥のJRの鉄橋の下をくぐると、東京湾だ。

船宿が軒を並べる

古川沿いに今も船宿がいくつか残っていて、釣り、納涼のお客さんたちが訪れる。

私も子供のころ、ここから船に乗り、東京湾に潮干狩りなどに出かけた思い出がある。

手水鉢

この船宿の前に、石でできた手水鉢のようなものがあり、「め組」の関係者の名前が彫られていた。

「め組」は、江戸時代、このあたりを受け持っていた町火消しの組で、この付近の歴史を思い起こさせる。

字の作者は

私が興味を持ったのは、この字体。

何とも形がよくて、美しい。

船宿名の左側に「橘右近 筆」とある。

以前から、この「橘右近」という名前を聞いたことがあったが、この文字がどんなもので、どんな特徴があるのか全く知らなかったが、ネットで調べてみると、興味あることがわかった。

それは、橘右近(1903~1995)が生まれた場所は、

ウィキペディアによれば、浜松町とあるから私と同じ「芝大神宮」の氏子ということだ。

さらに、生まれた年も私の父とほぼ同じだから、一層、親近感がわく。

笑点のタイトル

橘右近とはどんな人物か、

ウィキペディアには「橘流 寄席文字家元」と紹介されている。

人気番組「笑点」のタイトルも、橘右近の手になる「寄席文字」で書かれている。

橘右近は19歳で落語家に弟子入りをしたが49歳で廃業、その後、「寄席文字」の書家専業となった。

彼が書家になった背景には、

寄席の看板や「めくり」に用いられる寄席文字は、江戸期から専門の職人が書いていたが、寄席が減つて職人もいなくなってしまったこと、

そして、彼が寄席にまつわる資料を豊富に集めていたということがあった。

そして、橘右近は見よう見まねで寄席文字を書き始め、少しずつ自分のスタイルを確立していったという。

中村座の看板

これは、歌川豊国の「中村座正面図」(1817・文化14)

寄席文字は、

歌舞伎の看板などに用いられた勘亭流と、提灯や半纏などに使われた字体を折衷して編み出された文字で

芝居文字、相撲文字などと共に「江戸文字」の一つ。

寄席文字


寄席文字の特徴は、

①少しでも多くの客が寄席に集まって大入りになるように、字を詰まり気味に、隙間が最小限になるように書く。

②客入りが尻上がりになるように、右肩上がりに書く のだという。


橘右近は、亡くなる1年前に、

「橘流寄席文字 家元」は一代限りとして、その役と家元印を一門の集まりである「「寄席文字橘会」に委譲した。

現在は、一門のメンバーが各地で寄席文字の講習会などを開いて、寄席文字を次の世代に伝える取り組みをしている。


弟子の橘左近の次のような話がネットに乗っていた。

”「葬式は芝の増上寺で、葬儀委員長は柳家小さんにしてくれ」とのことだったが、その通りにかなえることができ、千人以上の参列者もあった”


橘右近は、寄席文字の、いわば"中興の祖"、

江戸文化を後世につなげる貴重なつなぎ役を果たし、多くの人がそれを認めていたということなのだろう。

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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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