金色夜叉 名場面の舞台は東京タワー

生誕地

明治の文豪・尾崎紅葉は、私の家から歩いて15分ほどのところで生まれた。
この小さな「首尾稲荷社」のすぐ近く、昔の芝中門前、現在の芝大門2丁目7-5の付近だ。

尾崎紅葉
尾崎紅葉(本名 徳太郎)が生まれたのは慶応3年(1867)。
17歳の時、日本最初の文学団体・硯友社を結成。
のちに明治文壇の重鎮となり、弟子には泉鏡花、徳田秋声などがいる。

18歳のときには、増上寺境内の紅葉山からとって自らを紅葉山人と称した。
港区の人物データベースによると、紅葉は芝で幼少を過ごしたことに誇りを持っていたという。

紅葉館
その紅葉山に明治14年にできたのが、会員制の高級料亭「紅葉館」。
明治16年にできた鹿鳴館が外国人接待の中心だったが、明治23年に閉鎖されると、それ以降は「紅葉館」が外国人接待や政治家、実業家などの社交場として大いににぎわったという。

尾崎紅葉の代表作で未完の「金色夜叉」の名場面の舞台といえば、熱海の海岸。
許婚のお宮を資産家に奪われた貫一が、お宮を足蹴にするシーンだ。

熱海の海岸
「来年の今月今夜、再来年の今月今夜のこの月を、僕の涙で曇らせてみせる」という、あの有名な場面。
ところがこれにはヒントになった出来事があって、舞台は「紅葉館」だったというのだ。

それは文学仲間の巌谷小波と、紅葉館で働く女中「お須磨」との恋物語。
出版社の経営者に心変わりしたお須磨を巌谷小波ではなく、紅葉が怒って足蹴にしたのだという。

タワー周辺
紅葉館は昭和20年3月10日の東京大空襲で焼けてしまい、今、その跡地には東京タワーが建っている。

私の母親からは、東京大空襲のときに芝公園に避難したと聞いたことがある。
紅葉館が焼け落ちたということは、空襲で命を落とす危険もあったということなのだろう。
その中を生き抜いたからこそ今の私がいる。そのことに感謝しよう。

樺太犬

東京タワーの鉄塔の下、昔、紅葉館があっただろう場所に、カラフト犬の像が立っている。

昭和31年11月、南極観測船「宗谷」に乗って南極に向かい、第一次越冬隊員とともに南極観測に活躍した犬ぞりのカラフト犬だ。

1年後の昭和33年2月、第二次の越冬隊員を乗せた宗谷は天候の悪化から昭和基地に近寄ることができず、第一次越冬隊員をようやくヘリで収容しただけで、二次の越冬隊員を基地に派遣することを断念。

昭和基地にいた15頭のカラフト犬は、鎖につないだままにして日本に帰って来てしまった。

そして1年後の昭和34年1月、第三次越冬隊員を乗せた宗谷が南極に戻った時、残したカラフト犬のうち2頭だけが生き残っていたのを発見。

東京タワーが完成して1か月もたたない時期の大ニュースだった。

それが「タロとジロ」で、その生き抜いた力に日本人は大きな感動を受けた。

「紅葉会館」「東京大空襲」「タロとジロ」、この地にまつわる3つの物語をこの地で暮らすものとして、後の世代に伝えていかなければと思う。

紅葉のように、ふるさとに愛着や誇りを持ってもらうために。

知ることが愛することの始まりなのだから。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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