古本まつりで「斎藤月岑」の碑と出会った

神田の古書店街で、恒例の「神田古本まつり」が11月4日まで開かれている。
今年で54回を数え、千代田区観光協会のホームページには「1年に1度の古書100万冊の大バーゲン」との文字が踊っている。
年々、盛大になってきていると紹介されていた。

神保町では、古書店の前の路上に古書が並べられ、多くの人たちが足を止め、本を手に取っていた。
最近は目にする機会がほとんどない「和綴じ」の本も、随分並んでいる。
享保18年刊「今昔物語」30冊、万治2年刊「宇治拾遺物語」全15冊と書いた紙が目に入ったが、いずれも値段は書かれていない。
大正15年刊 宮武外骨「明治奇聞」6冊は、3万8千円の値札がついていた。
世の中には、こうした本と出会いたいと思って、この古書街を歩き回る人もきっといるのだろう。

本はとても重たいから、全集本など自分で持ち帰るのが大変そうな図書には、「送料無料券」が付けられている。
お客さんには有り難いサービスに違いない。
私といえば、最近は小さな字が見えなくなったこともあり、本を買うことが以前よりずいぶん少なくなった。
こうして古本の中を歩いていると、「欲しい本と出会った」というよりも、「昔持っていた本を捨てなければよかった」と思うことの方が多い。

若い頃、毎月購読していた「話の特集」。
「1965年から95年まで発行されたミニコミ誌の草分け的存在」とウィキペディアに紹介されている。
植草甚一、永六輔、竹中労、野坂昭如、寺山修司、和田誠、虫明亜呂無など個性的な作家が毎号名を連ね、とても好きな雑誌だった。
その「話の特集」が1冊ずつビニールの袋におさまって売られていた。
1冊500円だった。
発売当時の値段は、500円もしなかったように思う。
家ででネットで調べたら、「話の特集」の古本で1000円から1500円という値がつくものもあった。
保管場所がなくて、これまで「話の特集」は全部捨ててしまったし、それ以外の本でも大分捨ててしまった。
こうして値札を見ながら、「随分もったいないことをしてしまった」と後悔すること、しきりだった。

これは、古書街近くの三省堂で見かけた看板。
三省堂でも、古書の買い入れをしているとのことだから、これからは利用させてもらおう。
何よりも、そうしないと本が可哀そうだ。

「古本まつり」を訪ねたその日、近くの神田司町を走っていると、歩道上に碑があるのを見つけた。
近寄ってみると「斎藤月岑(げっしん)居宅跡」と書かれ、次のように紹介されていた。

”斎藤月岑は 文化元年(1804)にこの地で生まれた。
斎藤家は代々、神田の6ケ町を支配する名主であった。祖父と父が手掛けた大著「江戸名所図会」を完成させたほか、東都歳時記、武江年表など、今日、江戸の町人文化を研究する上で欠くことのできない多くの著作を残している。
江戸を代表する文化人であり、神田の誇りである。
明治11年(1878)永眠”
神田っ子が「斎藤月岑」という人物を大切にする想いが、よく表れている。

江戸文化に関心のある方なら一度は見たことのある「江戸名所図会」。
これは「御茶ノ水、水道橋」の江戸当時の風景。
私が「斎藤月岑」の名を知ったのは、謎の浮世絵師・東洲斎写楽の正体を探るテレビ番組だった。
斎藤月岑は、東洲斎写楽について「増補浮世絵類考」という書の中に
”写楽 天明寛政年間ノ人 俗称斎藤十郎兵衛 居江戸八丁堀ニ住す 阿波ノ能役者也 号東洲斎”という記述を残している。
この記述を手掛かりに、今のところ、「東洲斎写楽の正体は、阿波徳島藩の能役者であった斎藤十郎兵衛である」という説が、きわめて有力になっていると、その番組では伝えていた。
「そうか、その斎藤月岑は、ここで暮らしていたのか」
そう思うと、斎藤月岑という人物が、一層親しい存在に思えてきたのだった。
「江戸名所図会」は、神田の古書街ではよく見かける本だ。
こんな日に、斎藤月岑の碑にめぐり会うのも面白いなと思った。
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