上野で「ラグーザお玉」と出会った

空海展
上野で25日まで開催の「空海と密教美術展」を見に行った。
東寺や金剛峯寺、仁和寺などの仏像や、空海の書など国宝・重要文化財が多数展示され、その日も大勢の人たちで混雑していた。

その日も混雑

会場は、東京国立博物館の平成館。
入場までの待ち時間は20分で、建物の間からは、スカイツリーが見える。

展示内容は、密教美術なので、宗教に関する説明は難しくてなかなか理解できない部分が多かったが、仏像はそれぞれ大変すばらしいものだった。
この企画展ではカメラ撮影ができないので内部の紹介はできないが、年配者だけでなく若い人の姿も目立った。

そして、国立博物館での展覧会で楽しみなのは、企画展のあとに本館に移動して、博物館の収蔵品を見学することだ。

この日も、埴輪から、焼き物、漆器、運慶派の仏像など、たくさんの考古・美術・工芸品を見ることができたが、
こんな作品に出会った。

日本の婦人像
作品のタイトルは「日本の婦人像」、作者はラグーザ(1841~1927)とある。

ラグーザと知って、この作品のモデルは、我がふるさと・芝新堀生まれの ラグーザお玉ではないかとピンときた。

家に帰って調べてみると、やはり彫刻の作者はお玉の夫でイタリア人のビンツェツオ・ラグーザで、残されている写真や他の彫刻から、モデルはお玉であると確信した。

とても清楚な顔立ちと、少し艶っぽいポーズが印象的だ。
実はこれまで、ラグーザお玉という地元出身の画家がいたということは知ってはいたが、こんな容貌をしていたとは知らなかった。

とても、いい表情をしている。
ふるさとの先人として、一層親近感を持った。


ラグーザお玉については、港区教育委員会が発行した「港区文化財のしおり」という小冊子の中で、こう書かれている。

「ラグーザお玉は、文久元年(1861)に江戸芝新堀(現芝2丁目)の清原家に生まれました。幼時から絵を好み、明治8年(1875)我が国に招かれて美術学校で彫刻を教えていたイタリア人ラグーザに洋画を学びました。明治15年、ラクーザはお玉を伴って郷里・シチリア島のパレルモに帰り、パレルモ美術学校及び工芸美術館を開き、自らその校長となりました。
お玉は、明治22年にラグーザと結婚して、副校長としてラグーザを補佐しました。画家としても、南欧と日本の美を融合した非凡の画才の持ち主としてよく知られています。
昭和3年(1928)夫に死別し、同8年に帰国して芝新堀に住み、昭和14年4月、急逝。79歳でした」

「港区近代人物史」によると、二人の出会いは明治10年。
小山町(現在の三田1丁目)にあった官舎に住んでいたラグーザが散歩の途中、美しい庭園に惹かれて、当時、増上寺の差配(管理人)をしていた清原家に立ち寄ったのがきっかけだという。
時に、お玉16歳、ラグーザ36歳。
この出会いが日本人初の女性洋画家の誕生につながってゆく。

お玉の人生については、昭和6年に、大阪毎日新聞と東京日日新聞に「ラグーザお玉」と題する連載小説が掲載され、広く世に知られることになった。

二人の作品の多くは東京芸大などに寄贈されているとのことだから、ここ国立博物館以外でも作品に出会う機会があるかもしれない。
今度は、彼女の洋画を見てみたい。

そんな偶然の出会いがあることを、また期待しよう。


墓は、麻布3丁目の長玄寺にあるという。
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夢のような一日でした

空海展、とてもとても素晴らしかったですね。


会場には、空海は31歳で得度をし62歳で入定と書いてありまし

たが、得度は20歳、東大寺の戒壇院で授戒を受けたのが31歳で

した。

幼名は真魚、空海さんにあやかり我が家の孫も真央子と命名しま

したが、なかなか・・・・・・です。

展示の仏像は素晴らしくそして美しく思いましたが、仏像は展示さ

れているより安置されているほうが、ひとりでに合掌し頭が下がるも

のなのだなとも感じてきました。

北大路さんのナレーションが、空海を演じた頃の声と少しも変わって

いないのでその当時を思い出しました。


お玉はラグーサの妻だけでなく画家でもあったのですね。

蝶々夫人とはまた違う人生で、とても素敵な一生だったなと思い

ました。


案内・解説といろいろありがとうございました。

またの機会を楽しみにしています。

Re: 夢のような一日でした

> 空海展、とてもとても素晴らしかったですね。
>
>
> 会場には、空海は31歳で得度をし62歳で入定と書いてありまし
>
> たが、得度は20歳、東大寺の戒壇院で授戒を受けたのが31歳で
>
> した。
>
REIさん、
得度と、授戒とはどう違うのですか。
広辞苑で調べても、よくわかりませんでした。
違いをぜひ教えてください。
それにしても、そこまでじっくりと解説を読んでいる人がいるとは、関係者もきっと喜んでいると思います。



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No title

清原玉の胸像は「Otama」と題され、パレルモの美術館にある。これとは顔が違う。玉がモデルになって以降、モデル志願の日本人女性が増えた、という。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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