ひともしごろ

銀座4丁目交差点

歩行者天国の銀座4丁目交差点。
9月28日午後5時12分。

秋の日はつるべ落とし。そろそろ夕暮れが近づいてきた。

昭和41年のヒット曲「二人の銀座」(歌 山内賢、和泉雅子、曲ベンチャーズ、訳詞 永六輔)に
こんな歌詞があった。

待ち合わせて 歩く銀座

ひともーしごろ 恋の銀座
(注、私には、このように聞こえたのであって、正式な詞は違うので念のため)


僕と君が 映るウインド

肩を寄せて 指をからませ

二人の銀座

というのがあった。

年配の方には懐かしい曲だが、この「ひともーしごろ」という歌詞の意味を、当時どのように理解していたでしょうか。

恥ずかしながら私は
「人も し頃」と解釈、
人が一体何をする頃なのだろうと思っていた時期があった。

勿論、正しくは「灯ともし頃」で、街の明かりがともる頃ということ。

並木通り

「二人の銀座」の歌詞には、「すずらん通り」や「みゆき通り」が出てくるが、ここは並木通り。

銀座中央通りの西側を並行する通りで、この付近は銀座6丁目になる。

今は、外国の有名ブランドの店が軒を並べている。

朝日ビルディング

その通りを挟んだ反対側に、ブロンズ製だろうか、緑色の金属の碑が建っている。

前に建つビルには「朝日ビルディング」と書かれてあった。

啄木の碑

碑には、石川啄木の肖像と、歌が刻まれている。

”京橋の瀧山町の新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな”

啄木は、明治42年3月から45年4月13日 27歳でこの世を去るまでの約3年間、当時この地にあった朝日新聞社に校正係として勤務した。

この間、歌集「一握の砂」「悲しき玩具」などを残している。

この碑は、啄木の没後60年の昭和48年に、銀座の人々によって建立されたと碑に記されている。

”夕闇の迫る頃、翌朝の朝刊の準備で、このあたりはあわただしい雰囲気にあふれていた”のだろう。

尚、碑の前に建つ「朝日ビルディング」は、朝日新聞社と関係があるのかと思って調べてみると、HPに

「朝日新聞グルーブの不動産部門の中核企業です」と書かれてあった。

銀座8丁目金春通り

銀座6丁目から銀座8丁目に向かう。

ここは、金春通り。

江戸時代、能の金春家が、幕府から屋敷をこの付近に拝領したことからその名がある。

以前、紹介した銭湯の「金春湯」の看板が見える。

最近、この通りは人通りがだいぶ増えているようだ。

この日も、二つの店の前に行列ができていた。

俺の割烹

この店は「俺の割烹」。

店の前に、料理人の名前と似顔絵、これまでどこの店で働いていたのを記した木の看板が掛けられている。

「立ち食い」で客の回転をよくすることで、一流料理人の料理を安く提供する。

そんなビジネスモデルで、近ごろ評判の店だ。

俺のフレンチ

そこから、新橋寄りに数十メートルいったところにある店の前にも行列ができていた。

同じ系列の店で、「俺の割烹」に先んじて開店した「俺のフレンチ」。

マスコミで紹介されたこともあってか、最近はいつも、こんな具合でこんでいる。

ここは、銀座の端っこ。
銀座は8丁目で終わり、その先は新橋になる。

銀座の一番はずれの地で、評判を呼んでいるこの新しいビジネスモデルが、この後「日本の食ビジネス」にどんな影響を与えてゆくのだろう。

そういえば、ハンバーガーの日本マクドナルドが1号店を出したのは銀座三越の店内。

昭和46年のことだから、冒頭の「二人の銀座」が世に出た年から5年も後のこと。

「二人の銀座」がヒットする2年ほど前、昭和39年の東京オリンピックの年に、御幸通りにたむろした「みゆき族」の若者たちは、まだハンバーガーを食べてはいなかったことになる。

今では、ハンバーガーは日本の食文化の中にすっかり定着したといってもいいだろう。

そんなふうに考えると、世の中はやはり少しずつ変わってきている。

この後、立ち食い文化が、日本中に広がってゆくのかどうか、興味深い。




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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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