柴錬と一緒に眠る人たち~伝通院


於大の墓

小石川・伝通院にある、徳川家康の生みの母・於大の墓。

於大は家康の父・松平弘忠の正室だったが、実家の水野家が織田方に従ったため、当時の主君であった今川家への配慮から弘忠に離縁される。

”於大はその後、久松俊勝に再嫁したが、人質として織田方や今川方を転々とする家康を慰めるため、音信を断つことはなかった”と案内板に書いてあった。

柴田錬三郎の墓

於大の巨大な墓石を間近に望むところに、小説家の柴田錬三郎の墓がある。

柴田錬三郎(1917-1978)は、「眠狂四郎」を生み出した作家として我々の世代には懐かしい作家だ。

歴史小説に新風を送ったことで知られている。

左に見える球状の石が、柴田錬三郎の碑、右側に見えるのが斎藤家(本名・斎藤錬三郎)の墓。

柴田錬三郎は、岡山の地主・柴田家の三男として生まれたが、山形県出身の女性と結婚した時に「斎藤家」の養子に入ったのだ。

柴田錬三郎


柴田錬三郎が生み出した眠狂四郎は、転び伴天連(拷問などで信仰を捨てた宗教者)と日本人の間に生まれた、ニヒルで冷酷非情な人物との設定。

市川雷蔵の主演で映画化され、その美しくも非情な主人公の姿は、「円月殺法」の立ち回りと共に、これまでにないヒーローとして人気を博した。

今でも、根強いファンがいるとも聞く。

作者の柴田錬三郎も、どことなくクールで、眠狂四郎に似た雰囲気を持っていた。

斎藤家の墓

柴田錬三郎と結婚した女性は、庄内藩・斎藤家の出身で、

その祖父の兄は明治維新の火付け役の1人でもあった「清河八郎」であった。

柴田錬三郎の著書には「清河八郎」という作品もあるが、その清河八郎の墓が、伝通院の墓所にあった。

清河八郎の墓

清河八郎の墓の入り口には、清河の没後に「正四位」が贈られたことを記す石柱が建っていた。

清河八郎(1830-1863)は、千葉周作の玄武館で北辰一刀流の免許皆伝、幕府学問所・昌平黌で学んだ。

桜田門外の変に強い衝撃を受け、倒幕・尊王攘夷の思想を強める。

清河八郎

清河八郎は新選組の前身ともなった「浪士組」を結成したことが、よく知られているが、その計画は奇想天外なものだった。

1863年、将軍家茂が孝明天皇に攘夷を誓うために上洛した際、清河は浪士組を率い将軍の警護として京へ向かった。

京都到着後、清河は「浪士組」の目的は将軍警護ではなく尊王攘夷であると述べ、京で尊攘活動にあたることを訴える。

その際、攘夷に反対した佐幕の近藤勇、土方歳三などが清河と袂を分かち、その後新選組を作ることになる。

清河が朝廷に建白書を出したことで浪士組は攘夷活動のお墨付きを得たが、倒幕の危険を感じた幕府は、浪士組を江戸に呼び戻す。

そして1863年(文久3)、明治維新の5年前、山形・上山藩の知人宅に呼ばれた帰り道、麻布一の橋のたもとで、浪士組の一員であった者など6名の刺客によって清河は暗殺されてしまう。

そして、清河は、幕臣ながら清河と付き合いの深かった山岡鉄舟の妻らの手によって伝通院に葬られたのだった。

阿連の墓

清河八郎の墓石の隣りに「貞女 阿連(おれん)の墓」が立っている。

阿連とは清河の愛妻の名前。

清河は死の2年前、自分の動きを探る幕府の関係者を一刀のもとに切り捨て、追われる身になってしまった。

清河は捕まらずにいたが、阿連は同志と共に捕縛され、牢に収容されてしまう。

清河はその後、浪士組の結成の前に、松平春嶽(幕府政事総裁)に急務三策(1. 攘夷の断行、2. 大赦の発令、3. 天下の英材の教育)を記した建白書を提出し、自分も含めて大赦を得る。

しかし大赦を得た時、阿連はすでに獄中で死亡していた。

清河が、阿連について詠んだ歌にこんなものがある。

「さくら花 たとひ散るとも ますらをの 袖ににほひを とどめざらめや」

亡き妻を思う気持ちがストレートに伝わってくる歌だ。

転び伴天連の墓

この墓は、6月15日のブログ「切支丹屋敷と二人の神父」でも紹介したイタリア出身のジュゼッペ・キアラ神父(墓碑名・ジョセフ岡本三右衛門)の供養墓。

禁教令化に日本に潜入したが捕えられ、信仰を捨てて日本人の妻を娶り、死ぬまで日本で暮らした。

これも伝通院の墓所の一角にある。

柴田錬三郎の作り出した眠狂四郎の父親はオランダの医師として入国した転び伴天連の「ジュアン・ベルナンド」、母親は幕府大目付・松平主水正の娘という設定。

ひょっとすると、ジョセフ岡本三右衛門は、柴田錬三郎が狂死郎の出自を設定するときに、参考にした人物かもしれないと思った。

柴田錬三郎の墓所のまわりに、こうした有縁の墓が並んでいるのも、何か不思議な感じだ。

これこそ、縁というものなのだろう。


尚、もう一つ付け加えると、

ここ伝通院は、「浪士組」が京都に向けて出発した場所でもある。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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