護国寺を訪ねて①~コンドルの墓と富士塚

護国寺

文京区大塚にある真言宗・護国寺を訪ねた。

護国寺は、徳川5代将軍綱吉の生母・桂昌院の発願によって創建され、以後徳川家からの庇護を受けてきた名刹だ。

向かって左隣は、日大豊山高校。
これまで、高校野球でその名を何回も聞いた名門校の一つだ。

ここ護国寺には、大隈重信、三条実美、山縣有朋、大倉喜八郎、等々、明治以降の歴史の中に登場するたくさんの著名人の墓がある。

今回、護国寺を訪ねたのは、前回のブログで紹介したジョサイア・コンドルのお墓を訪ねるためだ。

日本に西洋建築の基礎をもたらすと共に、日本文化に強く惹かれ、日本に骨を埋めたコンドルのお墓を見たいと思ったからだ。

護国寺の境内

護国寺の境内は、とても広い。

墓地は、本堂の後方に広がっている。

寺によっては、よく知られた人物の墓については、地図に場所を示してくれるお寺もあるが、ここにはそんな手がかりはなかった。

探し当てるのは、簡単ではないと思った。

古い墓石を探しながら歩いていると、案外簡単に、コンドルの墓に出会うことができた。

コンドルとくめ夫人の墓

これが、コンドルと、夫人の「くめ」が眠る墓。

入り口に区の教育委員会が立てた案内板があったので、それとわかった。

それによると、

”ロンドンに生まれたコンドルは大学で建築学を学び、明治10年(1877)、25歳の時に、日本政府の要請により来日。

東大工学部の前身である工部大学校教授として学生を指導するかたわら、鹿鳴館、ニコライ聖堂、岩崎邸など多くの建築物を作り、我が国の近代建築の基礎形成に貢献した。

一方、「日本の造園」「日本の華道」を著すなど、我が国の文化、芸術を海外に紹介した。

日本を愛したコンドルは、日本女性クメ夫人と共に、この地に永眠している”

と、紹介されている。

三菱1号館とコンドル

これは、去年9月に丸の内で行われたアート・イベントの写真。

街の中に置かれたベンチに、コンドルの像が配置されている。

ここは、コンドルが設計した三菱一号館の中庭。左後方に見える煉瓦の建物が三菱1号館。

近ごろ復元され、ビジネス街が日本に初めて作られた当時の様子を、今に伝えている。

墓碑銘

墓碑銘は、英語で記されていた。

ウィキペディアによると、

くめ夫人は花柳流の舞踊家とのことで、結婚したのはコンドルが41歳、くめ夫人が38歳の頃。

コンドルは日本画や日本舞踊も習っていたということで、そんなことがきっかけで知り合ったのだろう。

この二人が亡くなった日付が、墓石に刻まれていた。

くめ夫人は、1920年(大正9)6月10日
コンドルは、1920年(大正9)6月21日。

コンドルは夫人の死から、わずか11日後に亡くなっていたのだった。

そして墓石の一番下に

ERECTED BY THEIR DAUGHTER・・・”彼らの娘、これを建てる”と書かれている。

ウィキペディアには、娘について何も触れていないが、ネット上の記事には「コンドルには若き日に芸者との間に生まれた「はる」という名の娘がおり、コンドルとくめが引き取ってレディーに育て上げた」と書いてあるものがあった。

それ以上詳しい資料は見当たらなかったので、推測の域を出ないが、この墓はその娘さんによって建てられたものではないかと思った。

富士塚

日本と、日本の文化を愛したコンドルの墓に別れを告げ、山門の方に戻ってくると、「富士塚」があった。

富士塚は、富士山に模して造営された人工の山や塚のこと。

江戸時代、富士山とそこに住む神への信仰がさかんだった。

しかし、今とは違って簡単にはいけなかったので、身近な場所に富士山のミニチュアを作り、だれでも富士参拝ができるようにしたのだ。

以前、品川神社にある富士塚を紹介したが、その他にも中央区の鉄砲洲稲荷神社などでも見かけている。

1合目

鳥居をくぐって数歩行くと、1合目の標識が見えてくる。

ここの富士塚は、高さが6メートルしかないから、すぐに頂上についてしまう。

頂上。

頂上には、小さいながら「浅間神社」が祀られていた。

今年6月、富士山は世界遺産に登録された。

7月1日の山開きでは、たくさんの人達で登山道が埋まっている様子がニュースで紹介されていた。

昔は、簡単に登れなかった富士山も、今は誰でも、その気になりさえすれば富士登山をすることができる。

だから、このミニチュア富士山はもはや信仰の対象ではない様だ。

「世界遺産」ならぬ、庶民の生活文化史を後世に伝える「文化遺産」に変わってしまった感じがする。


この日の昼時、近所で働く人などが、富士塚近くの境内で食事をしたり、木陰で涼をとっていたりしていたが、

富士塚に上る人は、私の他に誰もいなかった。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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