わが世 誰そ 常ならむ

雑魚場架道橋

JR田町駅から、少し浜松町寄りのところにある架道橋。

以前、この付近が落語「芝浜」の舞台となった所とご紹介した。

手前が第一京浜に通じる道で、線路をくぐると向こうは芝浦になる。

明治のはじめ、新橋~横浜間の鉄道線路が敷設されたのは、殆んどの所が江戸湾の波打ち際だった。

その線路が、今のJRの線路になっている。

従って、昔、線路下の低くなっているところから向こうは海だったのだ。

プレート

この道はよく通るところだが、これまでこの架道橋の名前を知らなかった。

ところが先日、ここを通った時に、橋梁名が書かれたプレートが目に入った。

「雑魚場(ざこば)架道橋」とある。

まさに、この付近が「芝浜」の舞台であり、漁民たちの住む町であったことを感じさせる名前であった。

江戸末の地図

これは、江戸末期のこの付近の地図。

江戸時代の芝浦は、雑魚場と呼ばれて漁村として栄えていた。

この付近で獲れる魚は”芝肴(しばざかな)”と呼ばれ、江戸に広く出回ったという。

現在は、かなり先まで海が埋め立てられ、このあたりで漁が盛んに行われていたことなど想像もできなくなってしまった。

そうした意味で、この橋梁名は、昔のこの地の歴史を思い出させる貴重な手がかりといえるだろう。

神田やぶそばの土地

こちらは、神田須田町。

この間まで「神田やぶそば」の建物が建っていたところだ。

ご承知のように、今年の2月に火災になり、建て替えのために建物は解体されてしまった。

周りのビルに、火災の影響だろうか、黒い煤のようなものが見える。

同じところから撮影したもの

これは、前の写真と同じ所から撮影したもの。

この付近は、江戸の風情を色濃く残すところで、

「神田やぶそば」の建物も、大正12年12月、関東大震災の直後に作られたものだったという。

店では、おかみさんが客の注文を復唱して板場などに伝える独特の口調が、とても印象的だった。


そして店は、江蕎麦好きの江戸っ子が訪れる店としても有名だった。

福井おろしそば

これは、福井の「おろしそば」。

私は東京で生まれ育ったにもかかわらず、そばの味に目覚めたのはおとなになってからのこと。

縁あって、福井や山形という「そば」のおいしいところで暮らしたものだから、江戸前の食べ方は身についていない。

江戸では、そばを全部そばつゆに浸さないのが粋とされるが、その理由は

「全部つけると、舌は真っ先につゆの味だけを感じてしまい、そばの香りを味わえなくなってしまう」

と、神田藪蕎麦を中心として結成されたのれん集団「藪睦会」のホームページに載っていた。

この「おろしそば」は、大根おろしの入った辛いそばつゆを、蕎麦の上からぶっかけ、鰹節とねぎをのせて食べるのだから、江戸前の食べ方とはだいぶ違う。

私は、田舎蕎麦の方に慣れてしまい、そばつゆを少しつけて食べるという粋な食べ方は、ついに身についていない。

「神田まつや」

この「神田まつや」も須田町にあって、創業は明治17年という老舗。

須田町には、以前交通博物館があったが移転してしまい、現在は跡地にJRの高層ビルが建っている。

この付近も、少しずつその姿を変えてきている。

火災に会う前の入り口

火災に遭う前の「神田やぶそば」の入り口。

とても落ち着いたたたずまいで、味わいがあった。

ホームページを見ると

「再開時期については”決まり次第お知らせします”」と書いてあり、何時になるのか、まだ未定のようだ。

はたして、どんな建物となって登場するのだろう。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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