「鹿児島県の木」を見た場所

この日は、レインボーブリッジを渡り、豊洲を経て、赤坂まで走ることにした。
日の出桟橋を過ぎ、東京港を左に見て、レインボーブリッジに向かう。
この付近は、ヤマモモの木がたくさん植えられていて、例年この時期はたくさんの実をつける。
今、右手に見える木もヤマモモの木。
近くに寄ってみた。

今年も、たくさんの実をつけていた。
とても、おいしそう。
実を集めてジャムでも作ってみたら、楽しそうだ。
もうしばらくすると、たわわに実った実が地上に落ち、鳥たちがついばむ姿を見かける。
とはいえ、大半が地上に落ちて踏みつぶされてしまう。
何か、とてももったいないという思いを毎年感じている。

お台場に渡り、豊洲に足を伸ばすと、運河に沿った公園で子供たちがサッカーをしていた。
みんな、なかなか上手だ。

グランドのすぐそばでは、ハマナスが赤い実をつけていた。
昔の子供たちなら、夕方ここから帰る時には、ハマナスの実を食べていただろうが、今の子供たちはどうなのだろう。

勝鬨橋、築地、新橋を経て赤坂へ向かう。
日枝神社では、毎年この時期に夏祭りが行われるが、今年は裏の年に当たり、人出は少なかった。
それでも、本殿の前に設けられた茅の輪くぐりには、たくさんの人が訪れていた。

神社を出て、赤坂見附の方に向かう。
赤坂見附の交差点から右手を見ると、以前そびえていた赤坂プリンスホテルは、その姿を消していた。

これは、解体前の写真。
解体を始めたのは2012年の6月だから、ちょうど1年かかっている。
跡地は、ホテルとオフィスなどが入る複合ビルとマンションの、2棟の高層ビルがつくられるという。

弁慶橋を渡って紀尾井町までやって来た。
江戸時代は、このあたりには紀州、尾張、井伊藩の屋敷があった。
このため、明治になってから、それぞれの頭文字をとって「紀尾井町」となったのだ。
道路の右側は、紀州和歌山藩の上屋敷があった所になる。

屋敷内には清水がわき出ていて、今も池が残っている。
現在は清水谷公園になっている。

そして、清水谷公園の一角に、「大久保公哀悼碑」と書かれた大きな碑が建っている。
明治の元勲の1人大久保利通が、明治11年(1878)に赤坂御所に向かう途中、この付近で石川県士族6人に襲われ暗殺されたのだ。
薩摩藩士の家に生まれた大久保は、明治維新で大きな役割を果たした後、同じ薩摩出身で広い人気のあった西郷隆盛を西南の役で討ち、富国強兵に向けた国づくりに力を注いでいた頃であった。
ウィキペディアその他で調べてみると、
暗殺の士族が持っていた「斬奸状」には、
「国会も憲法もなく、民権を圧迫」
「不要な土木事業などにより国費を無駄遣い」など大久保を糾弾する5つの罪状が記されていたとある。
また、世間では、冷徹で非情な性格と批判され、人々から人気のある人物とは言えなかったという。
しかし近年、大久保の人物像については、必要だが予算の付かなかった公共事業に私財を投じて実施するなど金銭に対して清潔で、近代日本の礎を築いた公平無私な政治家であったことが次第に認知され、再評価されているとのことだ。

哀悼碑を訪ねた時、碑のまわりには、ちょうど赤い花が満開を迎えていた。
家に帰って調べてみると、この植物は「カイコウズ(海紅豆)」という木に咲く花とわかった。
江戸末に渡来したもので、別名は「アメリカデイゴ」。
アルゼンチンとウルグアイの国花となっているほか、「鹿児島県の木」でもあるという。
故郷・鹿児島では「西郷ドンの敵」として、人気のない時代が長く続いた大久保、
その大久保の碑の傍らで、鹿児島県の木「カイコウズ」は毎年花を咲かせていた。
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