岡倉天心記念公園


谷中初音町

「谷根千」という言葉がある。

上野公園から比較的近い「谷中、根津、千駄木」一帯を呼ぶ言葉だ。

戦災をあまり受けず、下町の風情を残す地域として、ファンも多い。

先日この付近を走っていると、この付近の昔の町名を書いた看板に出会った。
「谷中初音町(やなかはつねちょう)」

説明には、こう書いてあった。

「谷中初音町との町名は、町内に鴬谷と呼ばれるところがあったことから、
『鶯の初音』に因んでつけられた。

初音とは、その年に初めて聞く鶯などの声のことである」

現在の町名は「台東区谷中5丁目」。これは少々味気ない。

説明には、更にこう書かれている。

「本町には、かつて日本近代美術の先覚者岡倉天心が住んでいた」

岡倉天心宅跡

岡倉天心とは、「日本文化・美術を世界に紹介するとともに、保存・維持に大きな貢献をした」として学校で習った人物だ。

その岡倉天心の住まいと、天心が横山大観、菱田春草らと創設した前期日本美術院があったのが、この場所。

間口は狭いが、奥行きはかなりある。

現在は「岡倉天心記念公園」となっていて、白い建築物は公衆トイレとなっている。

天心史蹟記念堂

この六角堂は「岡倉天心史蹟記念堂」。

建物の中には、天心の東京美術学校時代の教え子で、のちに文化勲章を受章した平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)の製作した天心像が収められている。

天心像 平櫛田中作

岡倉天心と聞いて、すぐ思い起こすのは「茶の本」。

茶道、日本文化の心を解説したものだが、日本語ではなく英語で書かれたものだ。

40年も前に読んだ文庫本を、もう一度開いてみた。

沢山の傍線が引かれていたが、残念ながら読んだ内容は余り覚えていなかった。

短い作品だからもう一度読んでみると、こんな一節があった。

「一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている無数の奇癖のうちの一例にすぎぬと、ひそかに笑っているであろう。
かれらは、日本人が穏和な芸術にふけっているころは、野蛮人とみなしていた。
しかし日本が、中国東北の戦場で大殺戮を始めてからは、文明国と呼んでいる。

近ごろ武士道ーわが兵士に喜んで身を捨てさせる死の術ーについて盛んに議論されてきた。
しかし茶道については、それが生の術を多く説いているにも拘わらず、殆んど注意が払われていない。
もし文明が、血なまぐさい戦争の名誉に依拠しなければならぬというなら、われわれは野蛮に甘んじよう。芸術や理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るまで、われわれは喜んで待つとしよう」
(講談社文庫「茶の本」宮川寅雄訳)

西洋文明の中で暮らす人たちに、皮肉を込めながらも、茶の湯の文化の素晴らしさを訴えている。

巻末に天心の年譜が載っていた。

それによれば

天心の父は元越前藩士で、横浜で生糸商を営んでいた。

そして天心は、なんと明治2年という時代に、7歳の時から英語の学習を始めている。

その後、天心は東京大学を卒業し文部省に勤めるが、その時お雇い外国人として東京大学で教えていたアーネスト・フェノロサと出会う。

天心が英語に堪能であったことが、二人を結びつけることになる。

アーネスト・フェノロサ

フェノロサが来日したのは明治11年、25歳の時。

日本に来て日本美術の魅力に取りつかれたフェノロサは、大名家などを訪ね、優れた美術品を見て歩く日々を送っていた。

そんな中、廃仏毀釈によって仏像が壊され、打ち捨てられているのを見て、フェノロサは日本美術を守らなければと行動し始める。

教え子であった岡倉天心を助手に、京都・奈良の寺を回り、寺の宝物リストを作り始めたのだった。

明治29年、天心は「古社寺保存会委員」に任命され、古社寺保存法の制定(1897・明治30年)に努め、日本で初めて「文化財指定」が行われた。

この法律が、のちの文化財保護法へと受け継がれ、社寺だけでなく絵画や書など広く日本の文化財を保護の対象にしていくことになる。

こうした法律によって、

重要文化財の日本国外への輸出禁止、譲渡の際は文化庁長官に申し出をするなど、

正に、国宝・国の宝が流出、散逸することを防ぐことにつながっていった。

つまり、2人の取り組みによって、国の宝・国宝が守られる仕組みが作られたのだ。

国宝「彦根屏風」

今年4月、彦根城博物館で国宝・彦根屏風を見る機会があった。

井伊家に伝わる名品だ。

傾奇者

この傾奇者のポーズと表情の面白いこと。

この絵を見ていると、いつの世も変わることのない「青春」の熱と美と、はかなさを感じる。

それが国宝、優れた美術品の持つパワーなのかなと思う。


そして、日本美術の維持と開発を目指して、天心が横山大観、菱田春草、下村観山ら錚々たる画家たちと創設した日本美術院は、天心の逝去後、横山大観を中心に再興されて今に至っている。

日本美術院の展覧会は、日本画の公募展覧会で、通称「院展」と呼ばれている。

来年・平成26年は「再興100周年」を迎えるとホームページに記されていた。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR