オーストラリア大使館~蜂須賀邸跡

二の橋

港区の古川に架かる二の橋。

麻布十番近くに架かる「一の橋」の一つ上流の橋だ。

この橋の左側は「三田」、まっすぐに進めば国道1号線に突き当たる。

今日紹介するオーストラリア大使館は、この坂を上がって間もなく、右手にある。

オーストラリア大使館

とてもモダンな建物だ。

写真を見ていると、どこか外国の風景のような感じがする。

カンガルーなど

建物の道路に面したところには、オーストラリアを代表する動物のカンガルーと、ダチョウに似た鳥で国鳥の「ミュー」の姿も見える。

入り口に大きな看板

入り口の横には、こんな看板が掲げられていた。

「たすけあいの心」

東日本大震災を受けて、オーストラリア政府が日本各地で行った「震災復興への取り組み」を図にしたものだ。

オーストラリア大使館のホームページを見ると、オーストラリアの女性首相(ジュリア・ギラード氏)が2011年4月に被災現場を訪れた様子(外国首脳として最初の被災地の訪問であったとのこと)や、

食糧支援、相互交流など、これまでの取り組みが紹介されていた。

江戸の地図

さて、いつも紹介する江戸末期の地図で見てみると、

オーストラリア大使館のあるのは、

「織田山シロ」、「島津アハジ」と書かれた場所の、双方に少しずつかかった所になる。

「島津アハジ」とは、島津・薩摩藩の支藩で日向・佐土原藩のこと。

現在の三井倶楽部は、大半がこの敷地内にある。

そして、「織田山シロ」とは、丹波柏原藩のことだ。

その後、その土地は、徳島藩・蜂須賀氏の屋敷と変わったようで、大使館のホームページには
次のように書かれている。

「在京オーストラリア大使館は、東京都三田にあります。

13,000平方メートルの敷地は、徳川時代、将軍が定めた参勤交代の制度に従い、蜂須賀家が所有していたものです。

大使館の初代の建物は、1927年蜂須賀(はちすか)正韶(まさあき)侯爵と息子の正氏(まさうじ)によって建てられました。

二人はケンブリッジ大学で学び、イングランドでの生活を想起させる西洋風邸宅を建築することを決めたのです。

1952年にオーストラリア政府がこの敷地と屋敷を購入しました。

1988年、敷地の再開発のためこの古い屋敷に替わり、新しい大使館事務棟、大使公邸、館員官舎が建設され1990年に完成しました」

蜂須賀邸

この建物が蜂須賀邸。

この敷地を蜂須賀家が所有するようになった経緯は不明だが、建物は大正時代に建てられたという。

オーストラリア政府は、昭和15年からこの屋敷を借用して公使館としていた。

「つた」に覆われた建物として知られていたようだ。

三井倶楽部

オーストラリア大使館のすぐ近くに残る「三井倶楽部」の建物。

「ジョセフ・コンドルの名建築と、この建物が並んで残っていたら、何とも素晴らしい風景になっていただろうな」と
そんなことを、ふと思ってしまう。

とはいえ、都心の喧騒の中で、いつもとても静かで、落ち着いたたたずまいを見せてくれる一画てあることは間違いない場所だ。







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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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