F・ベアトが写した三田・綱坂

ベアトが写した幕末の日本

F・ベアトとは、イタリア生まれでイギリス国籍を持つ写真家のフェリーチェ・ベアト(1832-1909)のこと。(本人はフェリックス・ベアトとも名乗ったようだ)

幕末の日本をはじめ東アジアを撮影した人物として知られる。
去年、恵比寿の東京都写真美術館で作品展が開かれている。

ベアトの写真として有名なのは、愛宕山から撮影した大名屋敷のパノラマ写真、横浜港の写真、東海道の宿場などがあり、いずれも江戸時代末の日本の様子を記録したものとして、とても貴重なものだ。

この御高祖頭巾の女性の写真も当時の風俗をとらえていて、とても印象的だ。

そのベアトが港区・三田で撮影した写真が、都立高校の歴史の副読本に載っていた。

幕末の綱坂

「幕末の三田・綱坂」と紹介されている。

説明には、右手前の屋敷は島原藩の屋敷、その奥が伊予・松山藩。

左手前は会津藩邸とある。つまり、「八重の桜」の松平容保の屋敷だ。

同じところから撮影

ベアトが撮影した場所と同じところから撮影しようと思い撮ってみた。

右手前の島原藩の屋敷は、現在は慶応大学になっている。

私が小学生の頃は、この場所にグラウンドがあり、野球をした思い出がある。
この日、入り口から中を覗きこんだが、校舎の建物しか見ることはできなかった。

そして、その奥の伊予松山藩邸は、現在はイタリア大使館になっている。

赤穂浪士の大石主税、堀部安兵衛などが討ち入りで本懐を遂げた後に預けられ、切腹をしたところでもある。

左の会津藩邸だったところは、今は慶応中等部の校舎、グラウンドになっている。

綱坂に沿って左奥は、島津の支藩・日向佐土原藩邸があった所だが、今は三井倶楽部になっている。

津國屋

写真を撮った場所のすぐ右手に、現在はこんな建物が建っている。

明治中期創業の酒屋さんで、建物も創業当時のものとのこと。

今も、飲食店として営業している。

今では、この付近で古い建物はこの建物以外は殆んど見当たらない。(慶応大学の中には、明治5年に開館した演説館の建物があるが)

地図

江戸時代の地図を見ると、綱坂付近は武家屋敷が並ぶ地域。

江戸時代、綱坂近辺にあった大名屋敷は、その後大半が大学や、大使館、財閥の手に移り、今日に至っている。

車の通行も少なく、都心とは思えない静けさも残っている。

綱坂

綱坂を歩いてみると、当時の大名屋敷がいかに広大なものであったかがよくわかる。

ベアトが撮影した一枚の写真のおかげで、街歩きがとても楽しいものになるし、歴史への関心が一層深いものになってゆく。

しかし、今だからこそ貴重な写真だが、その当時の人にとってこの風景が珍しかったかといえばそんなことはない。

当たり前すぎて、日本人であれば食指の動く撮影対象ではなかったはずだ。

ベアトが日本人でなかったからこそ、興味を持って撮影されたのだろう。

見慣れた風景が、時を経て貴重な記録へと変わる。

それは、その写真に「時代と暮らし」が写っているから。

私も、そんな写真が撮りたいものだ。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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