「九ちゃん」のはずが「明治一代女」に出会う

長谷寺

この日の走りの目的地は港区西麻布にある長谷寺。

曹洞宗・永平寺別院で、坂本九ちゃんやエノケン・榎本健一の墓があると聞いて訪ねてみたのだった。

墓の案内

根津美術館と隣接する場所にあり、墓所の入り口には「黒田清輝」「伊澤蘭軒」の墓があるという案内が立っていた。

黒田清輝は明治・大正期の美術界の長老として日本の洋画壇を引っ張った人物として知られる。

伊澤蘭軒は江戸後期の医師・文化人で、古書籍の考証に深い見識を示した人物。

「森鴎外は、史伝小説『伊澤蘭軒』を執筆し、埋没していた蘭軒の業績を探し求め、明らかにしました」と、説明が書かれていた。

ところが、九ちゃんやエノケンの墓がどこにあるのか、何処にも説明が見当たらなかった。

そのため、広大な墓地の中を探し回ることになった。

歌碑の墓誌

すると、こんな言葉が刻まれた石板が目に入った。

「十五雛妓(すうぎ)であくる年

 花の一本ひだり褄(づま)
 
好いた惚れたと大川の 

水に流した色のかず 

花がいつしか命とり」

(雛妓とは、一人前でない芸妓、半玉のこと)

左上には、新明治一代女と書かれている。

墓石の名前は花井

しかも、墓石に刻まれた名前は「花井」とある。

昭和10年のヒット曲「明治一代女」の主人公・「花井お梅」の墓ではないだろうかとピンときた。

歌謡曲・「明治一代女」は、次のような歌詞だ。

(一)
浮いた浮いたと 浜町河岸に
浮かれ柳の 恥かしや
人目しのんで 小舟を出せば
すねた夜風が 邪魔をする

(二)
怨みますまい この世の事は
仕掛け花火に 似た命
もえて散る間に 舞台が変わる
まして女は なおさらに

こんな名調子の歌詞で、私が大好きな曲の一つだ。

家に帰って調べてみると、やはり思った通り。

石板に言葉を刻んだのは曲の作詞をした藤田まさと氏だった。

花井うめ

さて、この「花井お梅」という人は一体どのような人物だったのか、そして「明治一代女」とはいったいどんな物語なのか、

実は、私はよく知らなかったので調べてみた。

世界大百科事典の【明治一代女】には、次のように書いてある。


小説の「明治一代女」は、川口松太郎(1899‐1985)の短編小説。
《オール読物》1935年9~12月号に連載発表。

東京柳橋叶家(かのうや)の芸者お梅は、ふとした縁で歌舞伎役者・沢村仙枝(せんし)と愛しあうようになったが、芸者の意地から仙枝の3代目仙之助襲名披露のための大金をつくらなければならなかった。

お梅を愛する箱屋の巳之吉(みのきち)は、仙枝と別れ自分といっしょになってくれるならと故郷の土地を売り金をつくる。
お梅は条件をのんでその金を仙枝に用立てたものの、やはり仙枝とは別れられなかった。

この結果、お梅は約束を迫る巳之吉を刺してしまうことになるのだが

はたして、実際はどうだったのだろうか。

朝日日本歴史人物事典には、このように説明されている。

”「花井お梅」

生年: 元治1 (1864)没年: 大正5.12.14 (1916)

明治時代の芸者。下総国佐倉(千葉県)生まれ。本名ムメ。

9歳のとき、江戸日本橋吉川町の岡田常三郎の養女となり、15歳で柳橋の雛妓となった。
一本立ちしてからは宇田川屋秀吉と改め、浮名を流した。

明治20(1887)年実家にもどり、実父の名義で日本橋浜町に待合茶屋「酔月楼」を開業したが、実父と営業のことで意見が対立。

番頭の八杉峰吉(本名峰三郎)が実父に加担してお梅追い出しをはかったことから、同年6月9日、隅田川河畔で峰吉を刺殺。無期徒刑の判決を受けた。

河竹黙阿弥が「月梅薫朧夜」として歌舞伎化、のち川口松太郎の『明治一代女』などにもとりあげられた”と書かれている。


更に、ウィキペディアによれば

「美人芸妓の殺人に新聞が飛びつき、お梅は『毒婦』に仕立てられたが、犯行直後の当人は、動顛して歩けないほどだった。

刺した動機は、『ホンのハズミ』、『峯吉の陰口への腹立ち』、『峰吉に横恋慕される鬱陶しさと彼に待合を乗っ取られるのではの疑心』など、ノンフィクションの資料にもまちまちである」と記されている。

つまり、事件の動機については様々な説があるようなのだが、世間には、歌舞伎や小説で描かれた人物像とストーリーが広く流布していったようだ。

戒名

「お梅は、刑務所で15年間服役し、明治35年特赦により出獄。
汁粉屋などを営んだが、女役者となり、芝居で自分の経歴を演じ続けた」という。

「戒珠院梅顔日英大姉」というのが彼女の戒名だ。

墓石の向かって左側に彫ってあるのを、かすかに読み取ることができた。

こんな墓も

そして、もう一つ、「ひょっとすると」と思わせる名前と年齢が記された墓誌に出会った。

墓石の名前は「日景家」、

墓誌には、こう記されていた。

行年31

これも家に帰って調べると、「必殺仕置き人」や「太陽にほえろ」などで活躍した俳優の沖雅也さんの眠る墓だった。

昭和58年6月28日没、
行年 31才

この日は「おやじ、涅槃で待っている」という言葉を残して亡くなった日。

墓前には、たくさんの花が飾られていた。

こうしてこの日は、予期せぬ人のお墓に出会った一日となった。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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