汐留・日テレ本社前にある看板

花散らしの雨

「花に嵐のたとえもあるぞ」の言葉通り、散り残っていた桜の花に、激しい雨と風。

ソメイヨシノの花びらは大方落ちて、季節は次の段階に移ろった。

日テレ本社

そして、これから今日の本題。

ここは港区東新橋にある日本テレビの本社ビル。

東新橋というより、旧地名である「汐留」という方が一般的には分かりやすい。

日本テレビは、汐留の再開発で2004年にこの地に移転してきた。

北玄関の近くにこんな案内板が

その北玄関に近いところに、興味深い案内板が立っていた。

江戸時代、ここがどんな場所であったのかを記した物だった。

説明

そこには、このように書かれている。

この場所に仙台藩上屋敷の表門があった。

そして、赤穂浪士が討ち入りを終えて泉岳寺に向かう途中この前を通り、粥のもてなしを受けたとのこと。

「あたかもレトルト食品のように瞬く間に作られた粥は、仙台名産の『仙台糒(ほしいい)』であった」と案内板の最後に書いてある。
(ちなみに案内板を設置したのは、日本テレビと仙台市)

広重の絵

歌川広重が描いた浮世絵も、説明の横に紹介されている。

62万石にも上る仙台藩伊達家の表門だけに誠に立派な門構えだ。

門の前には、美空ひばりの歌にも出てくる「角兵衛獅子」が描かれている。

親方に厳しく仕込まれる様子は美空ひばりの映画では見たが、本物の角兵衛獅子を見たことはない。

今では全く姿を消してしまった芸といってもいいだろう。

そして「仙台糒」とは、伊達正宗が兵糧にするために、道明寺糒を参考に上方の技術を導入して作らせたもので、明治・大正までは作られていたが、その後は絶えたとウィキペディアには書かれていた。

道明寺糒は、簡単に言うと「ご飯を干して保存食にしたもの」という。

現在でも和菓子の材料として暮らしの中に生きている「道明寺粉」の製法を調べると、こんなふうに書いてある。

「もち米を2日間水につけた後 蒸しあげ、屋内で10日間乾燥させる。

そのあと更に20日間天日で干し、石臼にかけて仕上げる」と書いてある。

「寒中に作ってあり、幾年を過ごしても変質・変色せず、食べる時も熱湯で戻すだけ」というすぐれた保存食のようだ。

旧道

広重の絵に描かれた道は、東海道の旧道だという。

今はこんなふうになっている。画面奥は浜松町の方向。

そして、この道の一本右側に、大通りが並行して走っている。

その道が旧道に変わって東海道になった道、現在の第一京浜国道だ。

江戸の地図

江戸時代末期の地図で見るとこんな感じ。

地図で仙台藩の下隣りに屋敷を構えていたのは、大河ドラマ「八重の桜」にも登場する会津藩。
当時の藩主は松平容保で、これも興味深い。

この付近は、家康が江戸に幕府を開いた当初、天下普請の号令で海辺の湿地帯が埋め立てられ、武家屋敷地とされたところだ。

明治維新で政府に土地が返上されると、日本初の鉄道の起点となる新橋駅が設けられ、その後新橋駅は貨物ターミナルの汐留駅として物流の基地となる。

トラック輸送の発達によって貨物駅は廃止され、1995年(平成7)に再開発が行われ、今のような最先端の街に生まれ変わった。

浜離宮が江戸時代の姿を今なお留めているのに比べ、汐留は時代と共にその姿をめまぐるしく変えてきた。

高層ビルになっている日本テレビの前で、本当に赤穂浪士に粥がふるまわれたのか、想像することはなかなか難しい。

しかし、歴史の手掛かりをもとに故郷の昔を想像するのは楽しいから、町中にこうした歴史の解説があるとうれしい。

「知ることは愛することのはじまり」。

と、今日も、いつものきまり文句で失礼。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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