関東大震災を記憶する橋~南高橋

震災から2年

東日本大震災から丸2年たった。

3月10日と11日の2日間は、東京タワーの照明がいつもとは変わっていた。

鉄塔の輪郭を浮かび上がらせる照明をつけず、展望台の文字だけの照明だ。

「KIZUNA ARATANI (絆 新たに)」

海保のビル建築現場

2年前のあの日、私はお台場にある東京ビッグサイト付近を走っていた。

大津波警報が東北地方の太平洋沿岸などに出されたのを、携帯電話のワンセグ放送で知り、海から離れないと危険だと思い、立ち止まらずに走り続けた。

途中、振り返ると、観覧車の方向で黒煙が立ち上っているのが見えたので、写真に収めた。

あとから、新しい海上保安部の建物の建設現場での火事だと知った。
幸い、火事は大事には至らなかった。

徒歩の人で道路は埋まった

その日の夕方、JRがストップするなど公共交通機関が大幅に乱れ、歩いて家に帰る人たちで主要道路は大混雑となった。

あれから2年、

人間は、つらいこといやな思い出を忘れようとするプログラムを脳に持っているのだろう。

随分昔のことのようにも思える。

南高橋

そして、今年の3月11日、震災2年のその日。

いつもの隅田川のコースを走っていて、中央大橋近くの「南高橋(みなみたかばし)」に、差し掛かった。

そうだ、この橋は、「関東大震災で被災した旧両国橋の橋梁を再利用していた橋だ」と気が付いた。

説明

大正12年9月1日に起きた関東大震災では、当時隅田川に架かっていた5つの橋のうち、橋として機能を果たしたのは橋の床組に鋼、コンクリートを用いていた「新大橋」だけであった。

他の永代橋、両国橋、厩橋、吾妻橋は、火災で機能を失ったのだった。

(新大橋のたもとにある「人助け橋」の碑に、当時の様子が記されているのを以前紹介した)

震災の記憶

この橋は、旧両国橋の中央部分を補強し、橋幅を狭めて架設したもの。

関東大震災から1年後の大正13年9月に着工し、昭和2年11月に竣工している。

この「南高橋」は、いわば、関東大震災の記憶を体内に留める橋といってもいいだろう。

安政の大地震の震度

これは、安政の大地震(1855年)の時の震度分布を記したもの。

両国の江戸東京博物館に展示してある。

尊王派の志士たちに大きな影響を与えた水戸藩氏・藤田東湖が、母親を助けようとして命を落とした地震は、この安政の大地震の時であった。

現在の都心は、震度7の揺れであったことがわかる。

地震列島・日本では、これからもずっと地震を避けることはできない。

今も、列島の地下では、地震エネルギーが休むことなく蓄えられている。

蓄えられたエネルギーは、いつか必ず地震となって放出される。

ちょうど今年の9月1日で、関東大震災からは90年になる。

勿論、私たちの知らない過去の大地震もずいぶんある。

そうした地震が、日々、エネルギーを蓄積しつつあることを忘れないようにしなければと改めて思う。



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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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