相撲記者碑

回向院
国技館の近くにある回向院。
明暦の大火(1657年)の犠牲者を弔うため、4代将軍・家綱が建立。
その後は、安政の大地震、関東大震災、東京大空襲をはじめ、有縁・無縁、人、動物にかかわらず、生あるものすべてを供養する寺として知られる。

この境内では、江戸時代、寺社の再興・造営・修理などの費用を得るための勧進相撲が開かれ、今の大相撲の起源となったという。
勧進相撲は、明治42年、近くに国技館ができるまで続き、相撲の大衆化と隆盛に大きな役割を果たした。
力塚
境内には、相撲関係者の石碑群が建っている。
これは、物故力士や年寄の霊を祀る「力塚」。
この碑の近くにこんな碑を見つけた。
記者碑
東京相撲記者碑とある。
新聞社、広告代理店の人に交じって、アナウンサーの名前もあった。
志村正順
志村正順。
昭和10年の入局。
私たちより一世代以上、上の人にはなじみの深い名前に違いない。
昭和18年の出陣学徒壮行会の実況放送を担当、雨の神宮外苑競技場での壮行会の様子は、実況録音とともに記録映画でたびたび目にした。
プロ野球では、昭和34年の初の展覧試合、巨人・阪神戦で長嶋がサヨナラホームランを打った試合の実況を担当していた。
相撲では、栃若の大一番の実況も担当していたはずだ。

北出
そして北出清五郎、向坂松彦。二人のアナウンサーの名前も見える。

北出清五郎、昭和22年入局。
相撲中継は、TV放送がスタートした昭和28年から担当していた。
昭和39年の東京オリンピックでは開会式の名調子が忘れられない。
「世界中の秋晴れを東京に持ってきたような素晴らしい秋日和でございます」

そして昭和47年の冬季札幌オリンピック、日の丸飛行隊・笠谷幸生のジャンプの場面。
「さあ笠谷、金メダルへのジャンプ!・・飛んだ、決まった!」
今でも、あのシーンはこの文句とともによみがえる。

向坂松彦、昭和31年入局。昭和51年のモントリオールオリンピックで、ナディア・コマネチを「白い妖精」と形容。たけしの有名なギャグ「コマネチ!」の、あの選手だ。
相撲放送でも、もちろん第一線で長年活躍、穏やかで優しい語り口だった。

名場面の名文句を思い浮かべると、それを聞いた場所の風景も思い出す。
東京オリンピックの開会式は、確か渋谷の映画館で見た。
中継映像を映画館の大画面で放映していたのだった。大画面で見る日本の大選手団に感激したのを思い出す。

日の丸飛行隊は、釧路の下宿で見た。
コーラや瓶ビールは冷蔵庫に、冷やすためではなく破裂防止のために入れていたのだが、なぜかその光景と、当日の真冬の寒さも一緒に思い出す。

あの日の感動は、こうして、いつまでも胸に残ってゆくのだろう。


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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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