西郷さんの弟・従道


西郷橋

目黒区の青葉台。
旧山手通り沿いに西郷橋という橋がある。

東横線の代官山駅にも近く、あたりはおしゃれな店が並んでいる所だ。

「西郷橋」の西郷とは、幕末から明治にかけて日本の歴史を動かしたあの西郷さんと弟の従道(じゅうどう、つぐみち ともよばれる)に由来している。

従道は後に、海軍軍人として初めて元帥の称号を受けた人物で、明治政府の重鎮の一人でもあった。

西郷山公園

西郷橋の近くにある「西郷山公園」。

ここは西郷隆盛の弟・従道が、兄隆盛のために購入した土地で、その広さは約6㌶もあった。坪数でいうと、約1万8千坪にもなる。

兄のために購入したとは、一体どういうことなのか。

当時、隆盛は征韓論を巡って下野し、鹿児島で暮らしていた。

一方、新政府にとどまった従道は兄の再起を願い、再度上京する日に備えて、この土地を購入したのだった。

西郷従道

西郷従道(天保14年・1828-明治35・1902)は隆盛の15歳年下。

幕末に尊王攘夷運動に身を投じ、維新後の明治2年には山縣有朋と共に渡欧し軍制を調査した。

明治6年、征韓論を巡って兄・隆盛が下野したあとも政府にとどまり、明治10年の西南戦争の際にも隆盛に加担することはなかった。

明治11年、大久保利通暗殺後は、参議、更に陸軍卿になり、明治政府のなかにあって重きをなす存在となっていった。

この写真を撮影した明治12年当時は、陸軍中将だった。

ウィキペディアによると、その人となりは、

「細かい事務は部下に任せて殆んど口を出さず、失敗の責任は自分が撮るという考えを持っており、度量が大きかったといわれている」と書かれている。

従道の洋館

兄のために購入した土地は、西南戦争で隆盛が他界したあと、従道自身の別邸として利用されることになる。

これは現在、犬山市の明治村に保存されている従道の別邸。

和館と洋館があったが、和館は空襲で焼失してしまい、この建物だけが今に残っている。

洋館の一室

建物内部も、当時のままに保存されていた。

この建物は、1950年代にはプロ野球の旧国鉄スワローズの選手合宿所として使用されたこともあったという。

西郷隆盛画像

これは有名な「西郷隆盛画像」。

日本の紙幣・切手印刷の基礎を築いたイタリア人・キヨッソーネが描いたものだ。

キヨッソーネは、隆盛本人と面識がなく、写真も残っていなかったため、従道の顔をモデルにしてこの顔を描いたのだという。

つまり、われわれはこの顔を西郷隆盛像として見ているが、従道の顔により近い人相なのかもしれない。

従道は、首相候補に再三推されたが、兄・隆盛が逆賊の汚名を受けたことを理由に断り続けたという。

大西郷の陰に隠れてその人となりはあまり世に知られていないが、調べてみると、従道もなかなかの人物であったことがうかがえる。

従道が兄のために用意した土地は、現在、目黒区立「西郷山公園」として一般に開放されている。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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