尾崎紅葉の父


谷斎の供養碑

青山墓地にある尾崎紅葉の墓の隣りに、紅葉の父・尾崎谷斎(こくさい)の真新しい供養塔が建っている。

紅葉

「金色夜叉」で知られる尾崎紅葉は慶応3年(1867)、現在の芝大門2丁目で根付師の尾崎谷斎(本名 惣蔵)の長男として生まれた。

生地は大門

紅葉が生まれた首尾稲荷社のところには、紅葉を紹介する案内板が立っている。

紅葉の説明

それには、17歳の時、日本最初の文学団体「硯友社」を結成し近代文学の先駆けとなったこと、

18歳の時には、増上寺境内の紅葉山から「紅葉山人」と号したほか、故郷に愛着を持っていたことなどが紹介されている。

しかしウィキペディアによると、紅葉は父・谷斎の存在を公にしたくなかったようで、父についての言及はほとんどなかったという。

その理由は、谷斎が独特の作風で人気を得た根付師であったと同時に、柳橋や新橋界隈で有名な幇間(たいこもち)をしていたことによるらしい。

そんな親子の中を取り持って、紅葉の墓の横に父・谷斎の供養塔を建てたのは、尾崎家の子孫の方たち。

根付師として高い評価を受ける谷斎の人となりを供養塔の後ろに記している。

こんなふうに彫りこまれている。

谷斎とは

『赤羽織の谷斎として知られる尾崎谷斎(本名 惣蔵)は、文豪尾崎紅葉の実父で、幕末から明治にかけて活躍した象牙彫り、角彫りの名工であった。

主に根付、髪飾り、茶道具などを得意とし、その卓越した技芸に支えられた斬新、軽妙洒脱な作風は、明治の粋人、好事家に持て囃され一世を風靡した。

近年、世界各国の美術愛好家の間でも谷斎人気は高く、掌の彫刻と賞賛され、熱烈なコレクターも多い

2010年 曾孫 尾崎〇〇他 建立』

根付

根付とはどんなものなのか。

和服を着て、煙草入れや印籠などを持ち歩くときに、帯からつるす際の留め具に使うのが根付だ。

これは、上野の国立博物館に展示されている根付で谷斎の作品ではない。

谷斎の作品はネットに乗っているが転載はできないので、興味ある方はのぞいてみてほしい。

根付師としてのエピソードに『9代目市川團十郎が、注文してからなかなか届かないことに痺れを切らして、金に困っているのだろうと、金十両を送りつけると、谷斎は、馬鹿にするなと怒ってその小判に「金十両確かに受領せり」と彫って送り返したという逸話がある』という。

江戸っ子らしい心意気と矜持、それに少々偏屈な意地っ張りの様子が感じられる話だ。

こういう気風だと、親子の間でも意地を張って、なかなかうまくいかないだろう。

子孫の方のとりなしで、はたしてこの親子は、お墓の下で仲直りができているのだろうか。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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