「平成の大名」はどんな人だろう?

売り物件の文字が

この日は、風邪でしばらく寝ていたので足慣らしの散歩。

カメラを手にして、卒業した小学校の近くを歩いた。

すると静かな住宅街の一角に「売り物件」という文字が見えた。

場所は、港区三田2丁目。

三井倶楽部のすぐ隣

細い道路を挟んで、売り物件のすぐ隣にあるのは「三井倶楽部」。

あの三井財閥が、賓客接待用に大正2年に作った建物だ。

設計したのは鹿鳴館を設計した人物で、東京駅を設計した辰野金吾の先生でもあるジョサイア・コンドル。

このブログで何回も紹介した。

2階建て

一体、売りに出されたものは、どんな物件なのか。もう少し詳しく見てみよう。

物件の概要が入り口に張ってあり、
それを見ると、2階建て地下1階の建物で、閑静な場所に相応しい落ち着いた色調のものだ。

土地も広い

軽自動車の左側がその物件。道路右側が三井倶楽部になる。

土地も広い。1600㎡近くもある。

道路は綱坂で、鬼退治有名な「渡辺綱」ゆかりの坂といわれ、奥へ進むと左手にイタリア大使館。

更に坂を下ってゆくと左手は慶応大学、右手に慶応中等部だ。

この売り物件、看板には「国有地」と書いてある。

この辺の情報に詳しい幼馴染に話を聞くと、ここは以前法務省が使用していて、あのロッキード事件の際には要人の聴取にも使われたとか話していた。

このところの赤字予算の編成で国庫の事情も苦しいから、国有財産の処分を考えなくてはならなくなったのだろうと思う。

一体、いくらぐらいの金額で売れるのか、国交省が毎年発表している「公示価格」を参考にしてみた。

この場所から少し国道1号線に下った地点の公示価格は、㎡あたり139万円。これに広さをかけると、22億円余りになる。(あくまで、私の勝手な計算です。入札なので、実際はいくらになるのか)

この場所で、これだけの広さを持つ土地の値段として、果たして高いのかあるいは安いのか、全く別世界の話だからよくわからないが、確実に買う人は出てくるのだろう。

江戸時代の地図

江戸末期・安政6年(1859)の地図を見てみよう。

ここは伊予松山藩の中屋敷があった場所の一部。
地図には「松平オキ」と書かれている。

現在のイタリア大使館もこの中に含まれる。

地図では、その左に「島津アワジ」とあるが日向・佐土原藩のことで、三井倶楽部はここに建っている。

その左「織田ヤマシロ」とあるところは、現在オーストラリア大使館が建っている。

その下に「松平ヒゴ」とあるのは、会津藩保科家の下屋敷。

この地図当時の会津藩主は、今年の大河ドラマ「八重の桜」の重要な人物である「松平容保(かたもり)」だ。

三井倶楽部

江戸時代は大名屋敷が並んでいたこの地域は、維新後の時代の流れの中で、財閥や大使館、大学、そして国の所有地へと、その姿を変えてきた。

三井倶楽部は、終戦後には、一時GHQの管理下に置かれ、高級将校たちのクラブとしても使われてきた。

今、平成の世になって、このあたりの土地の一部が売りに出され、所有者が変わろうとしている。

はたして、今の世で、江戸の大名家に代わる所有者とは、いったいどんな人・あるいは企業なのだろうか。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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