世田谷に井伊直弼の墓を訪ねる~豪徳寺


花の生涯

今年は、日本でテレビの本放送が始まってから60年。人間でいう還暦を迎えた。

年末から年始にかけて、それを記念して関連の番組がいくつも放送されている。

その中で「大河ドラマ」の歴史を振り返る番組もあった。

大河ドラマが始まったのは昭和38年(1963)、こちらはちょうど50年・半世紀が経ったことになる。

第一作は舟橋聖一原作の「花の生涯」、主人公の井伊直弼を尾上松緑が演じていた。

それを見て、新年早々のジョギングは、井伊直弼が眠る豪徳寺と決めた。

豪徳寺

都心から豪徳寺までは、かなりの距離がある。

まず渋谷まで走り、そこから国道246を西に向かい、三軒茶屋から世田谷通りへ入る。

環七を超えてから世田谷区役所の方に向かい、その先は通行人に尋ねながら、豪徳寺を目指した。

実は、10年余り前、世田谷区内で間借りしたことがある。

当時、付近を走っているうち偶然に豪徳寺の前に出たこともあったが、住宅地で大通りからの行き方が難しい。

今回も、すんなりとは辿り着けず、ウォーキングの年配女性に訪ねたところ、なんと、一緒に走って寺まで案内してくれた。

これが豪徳寺。

さすがに「徳川譜代大名の筆頭格・井伊家の菩提寺」というのが、第一印象だった。
素晴らしい寺だった。

井伊直弼

井伊直弼(文化12・1815~安政7・1860)は近江・彦根藩の15代藩主。

井伊家は、関ヶ原、大坂夏の陣で戦功をあげ、近江国のほか下野国、それに武蔵国世田谷に合わせて30万石を有していた。

つまり、豪徳寺のあるあたりも井伊家の所領だったのだ。

井伊直弼は11代直中の14男に生まれ、17歳から32歳まで300俵の捨扶持の部屋住みとして過ごした。

ところが藩主となった兄たちが次々と亡くなり、思ってもいなかった藩主の座が直弼に転がりこんで来る。

井伊家の歴代藩主は江戸城溜間(たまりのま)に控えて将軍に近似し、時には大老職に就き、幕政に参与するという名門だから、井伊直弼も幕政の中心人物になってゆく。

直弼の墓

直弼は、安政5年、大老に就任すると日米修好通商条約を結び、日本の開国を断行する。

そして、これに反対する勢力を弾圧・粛清(安政の大獄)するが、それに反対する水戸浪士などによって暗殺される。

いわゆる「桜田門外の変」だ。

これは、豪徳寺にある井伊直弼の墓。

殉難八士

直弼の墓のすぐ後ろには、その日、直弼の警護に当たっていて難を得た武士たちを弔う碑もあった。

お参りの人

井伊直弼の墓に手を合わせる人。

井伊直弼の歴史的な評価、そして人物については、否定的な意見を持つ方も多々あるだろう。

しかし、長い鎖国の時代から、開国へと大きく舵を切った歴史的な存在であることは否定できない。


実は、豪徳寺から1キロも離れていないところに「松陰神社」がある。

安政の大獄で捕えられ、処刑された吉田松陰を祀っていて、墓もある。

松陰は、木戸孝允、高杉晋作、伊藤博文など、幕末から明治維新にかけて活躍した多くの人材を育てただけに国民的な人気がある人物だ。

豪徳寺の後、松陰神社に行ったのだが、そこには豪徳寺よりもはるかに多くの人がお参りに訪れていた。

因縁浅からぬ二人の墓が、ここ世田谷の互いに近いところにあるのも、何かの縁なのだろう。

次は、松陰神社とその周辺をご紹介したい。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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