名曲「ヨイトマケの唄」



自分にとって、2012年の紅白歌合戦は”「ヨイトマケの唄」紅白”といってもいいほど、ヨイトマケの唄が際立っていた。

年々、紅白の出場者に演歌、歌謡曲を歌う歌手が少なくなる中で、紅白歌合戦に対する興味も薄れてきていた。

合わせて50組ものアーチストが出場する中、聴いたことも見たこともない歌手、曲が殆んどになってしまえば、そうなるのも無理はない。

私と同じように感じる人は、年配の人に少なくない。

その中で、今回の紅白のなかで唯一聞きたいと思った曲が、「ヨイトマケの唄」だった。

美輪明宏

ウィキペディアによれば

美輪明宏が、この歌を作詞・作曲し、世に発表したのは1964年(昭和39)。
東京オリンピックの年だった。

私たち終戦直後に生まれた世代にとっては、「ヨイトマケ」の掛け声で道路工事をする人たちの姿は、記憶の中にはっきりと残っている。

昭和30年頃はまだ大型の建設機械がなかったから、工事現場で「重石」をロープで引き上げて落とし、地盤を固めるという作業を、あちこちで見かけた。

「ニコヨン」という言葉があり、日雇いで働く人たちの日当が240円だったことから来ていることも、子供ながらに聞いて知っていた。

あの頃、私のまわりには、暮らしに余裕のある家庭などほとんどなかったように思う。

農村部でも、親は出稼ぎに、子供は家計を助けるため進学をあきらめて都会に働きに出てくる時代だった。

戦後の暮らしが見える

舞台上の美輪明宏は、これまでの金髪ではなく黒い髪、衣装も地味な紺一色。

母親への愛をいっぱいに表現して、熱唱した。

私は、それまで雑用をしながら番組の音だけを聞いていたのだが、思わずテレビに見入ってしまった。

あの頃は「苦労するためだけに生まれてきた」ような人生を送った母親が、ずいぶんいたように思える。

三益愛子の「母もの」の映画も悲しかったが、冬、ヒビで割れたオフクロの手や足が痛そうだったのも悲しかった。

多分、「ヨイトマケの唄」を見ていた人の中には、苦労して自分を育てた母親、父親のことを思い出していた人が多かったに違いない。

ヤフーのネットを利用したアンケートでは、

紅白で一番印象に残ったアーチストとして、美輪明宏を挙げた人が圧倒的に多かった。

キムタクも無言で唄を受けた

曲が終わった後、ワンショットで獲られた木村拓也は、マイクを手にしていたが、言葉を発することはなかった。

口先だけのコメントを言いたくはなかったのだろう。

しかし、そのことが、歌による感動を表現していた。

増上寺へ

紅白を見てから、近くの増上寺へ行った。

「除夜の鐘」を撞くためにだ。

今年から、混雑による事故を防ぐために「カウントダウン」のイベントはなくなったが、境内は相変わらず大変な混雑だった。

沢山の人で埋まった

年末には「マヤ暦」の1つの周期が終わるということで地球終末論も飛び出し、ちょっぴりながら不安を感じたこともあった。

しかし、無事、新しい暦のサイクルに入ったようで、とりあえず安心、新しい年を迎えた。

「生きていてよかった」と思えることが、今年中に一つでもあるように。

期待して、生きることにしましょう。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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