「首都高」今年で50年

ポスター

首都高速道路で一部区間が開通して、ちょうど50年になる。

東京タワーで記念展が開かれていたので訪ねてみた。

はじめは京橋~芝浦間

首都高のなかで、最も早く開通したのは「京橋~芝浦間4.5キロ」で、1962年(昭和37)12月20日のことだった。

東京オリンピックに先立つ2年ほど前、高度成長で道路事情が少し窮屈になってきた頃の話だ。

私は、もう高校に入っていたが、今のようにどこの家にもマイカーがある時代ではなかった。
勿論、我が家にも自動車などはなかった。

従って開通式に関心は無く、記憶にもない。

ところが翌年1963年の7月に一部開通した名神高速道路についての記憶は、今も強く残っている。

高校で隣のクラスだった奴が、弟を乗せて運転中に事故を起こし、二人とも亡くなってしまったのだ。

日本の高速道路の歴史が始まった頃の出来事だった。

もう、あれから50年にもなる。

1962年

先日、NHKのニュースで、首都高開通当時の日時が記された橋脚が紹介されていた。

それは、いったいどこに残っているのだろうと、芝浦の首都高の橋脚を一本一本確認しながら走った。

アップ

芝消防署芝浦出張所の建物の前で見つけたのが、これだ。

さすがに、所々に錆が出ている。

首都高は、年月による変化を「老朽化」とは呼ばず「高齢化」という言葉を使っている。

「元気な高齢者がいるように、管理に気を使えば、年数が経っても道路の健康状態を保つことは可能」と説明している。

しかし、100年単位で考えれば、さすがに補修だけでは済まず、作り変えも考えなくてはならないとしている。

大規模改修中

このあたりは、首都高で最初に開通した部分。

現在はご覧のように大規模な補修作業が行われている。

公団では、毎日パトロールカーで路面状態を確認し、5年に1回は、目視や超音波による検査をしていると説明している。

しかし、先日、中央道の笹子トンネルで天井の崩落事故が起きただけに、不安は残る。

近くにレインボー

芝浦の首都高の出口のすぐ近く、海の方を見るとレインボーブリッジのループ部分が目の前に見える。

レインボーブリッジが開通したのは1993年(平成5)だから、年が明けると丸20年になる。

もうそんなに年月が経ってしまった。
開通50年というのも、あっという間だろう。

レインボーのループ部分

首都高は、土地収用の手間もなく工事もしやすい、川や水路の上、そして地下に作られた部分がほとんどを占める。

高架や橋梁、トンネルといった部分が、首都高速道路全体の9割にも達するということだから、

「作るはよいよい、維持は怖い」とでもいうべきか。

笹子トンネルの二の舞は絶対に無いよう、注文をつけて置きたい。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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