名園の紅葉を見にゆく~六義園


六義園入口

文京区本駒込にある国の特別名勝「六義園」。

「紅葉が見ごろ」と公園案内にあったので、12月9日に訪ねてみた。

柳沢吉保

この庭園を造ったのは5代将軍・綱吉の側用人として名高い「柳沢吉保」。

吉保は館林藩主だった綱吉の家臣・柳沢安忠の子で、幼少から綱吉の小姓を務めていた。

そして、綱吉の将軍就任に伴い、1万石余の側用人となり、元禄時代には大老格として幕政を主導。

最終的には15万石余りの大名にまでなっている。

吉保自ら設計

六義園は吉保自ら設計し、7年余りの年月を費やして池を掘り、山を築いて完成させた。

「築園したのは元禄15年(1702)」で、あの忠臣蔵の討ち入りがあったその年だ。

パンフレットには「(吉保の)和歌の趣味を基調とする大名庭園です」と紹介されていて、「紀州・和歌の浦や万葉集、古今集から名勝を選び、園内に八十八景を再現するという趣向になっている。

この庭園が出来た時代を振り返ると、

完成から3年後の宝永2年(1705)には生類憐みの令が出され、

5年後の宝永4年(1707)には富士山の噴火があった。

呑気に風流を楽しむ余裕など無かった時代のような気もするのだが。

紅葉の彩り豊か

園内の見どころ、ポイントはたくさんあるが、今はなんといっても紅葉の色の多彩さ。

午後の陽射しを浴びて、はかなくも美しい。

岩崎家好み

柱と梁がつつじの木で作られた「つつじ茶屋」。

実は六義園は明治に入り、三菱の創業者・岩崎弥太郎の別荘になっていて、この茶屋は明治維新後に建てられたもの。

つつじの木は成長が遅く、なかなか幹が太くならないので、材を集めるのが大変とのことだ。

茶屋のそばに建つ案内板には「唯一残っている明治時代に作られた建物」との説明があった。

岩崎家はこの庭園を、昭和13年に東京市に寄付(この時、清澄庭園も同時に寄付)している。

こも巻き

六義園八十八境の一つ「吹上松(ふきあげのまつ)」。

松の害虫を菰の中に集め、春先に燃やして退治するという「こも巻き」は、全国各地で見かける。
しかし、こんな文様の付いたものを見るのは初めてだ。

紅葉アップ

園内の池では、落葉で水面が埋まってしまったところもある。

渡月橋

園内の名所の一つ「渡月橋」。

二枚の大岩でできた橋を、一列になって渡る人たち。

こんなに混み合うのは、一年に何回もなさそうだ。

心泉亭付近

この日は、紅葉のライトアップの最後の日だった。

もう少し、気温が高ければ夜まで粘ったはずだが、あまりの寒さに、日の暮れる前に帰途についた。

残念だったが、夜景はまた来年の楽しみとしよう。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR