東京湾岸の「近代化の記憶」


晴海橋梁

この日は買い物のため、豊洲のホームセンターまで走って行った。

晴海の方から春海橋を渡り、向かいの豊洲地区に向かう。

走っている右手に、錆で赤く腐食した鉄橋が見える。
今はもう廃線になった臨港鉄道晴海線の晴海橋梁だ。

水運が、物流の主要な部分を担っていた当時、日本全国、世界各国とを結んで様々な物資を運んだ貨車が、一日に何往復もこの橋を渡った。

以前から、このあたりは良く走っていて、その変わりようには驚くばかりだ。

10年余り前、正面右手の高層ビルやさらに右手の「豊洲ららぽーと」のある場所は、石川島播磨重工業の敷地で、道路際に長い塀が続いていた。

高層ビルもあまりなかった。

左手を見ると相生橋と永代橋

春海橋の左手方向を見ると、晴海運河の流れる先に、相生橋とさらに先の永代橋が見える。

晴海地区も高層化が進む

橋を渡ってすぐ右に曲がり、晴海運河沿いのテラスを、「ららぽーと」の方に向かって走る。

今度は逆に、豊洲から晴海の方を見て見ると、晴海地区にも、高層ビルが今続々と建設されている。

晴海線開通

昭和32年、臨港鉄道晴海線の開通当時の写真だ。

最盛期の昭和42年(1967)には、1日22往復の貨物列車が運転されていたという。

東京港、昭和31年

晴海線が開通する前年・昭和31年の東京港の航空写真。

第六台場の左手に第三台場が写っているが、現在のお台場・有明地区はまだ影も形もない。

また、第六台場の右手に見える第2台場は、航路の確保のため撤去されて現在はない。

平成18年

それからちょうど半世紀、東京港はこんなに変わった。
僅か50年で驚くほどの変貌だ。

造船所の記憶

「ららぽーと」の後ろ、海沿いの空間に、かつてここに旧石川島播磨重工業の造船所があったことを知らせるモニュメントが置かれている。

しかし、あの赤く錆びついた橋梁に比べると、この地の歴史を雄弁に語ってはいないようだ。

ヒミコがやってきた

その時ちょうど、以前紹介した松本零士氏デザインの観光船「ヒミコ」が、豊洲乗り場をあとに、こちらに向かってくるところだった。

橋の下を通過

ヒミコの近未来的なデザインと、錆びた橋梁とのコントラストが面白くて何枚か写真を撮った。

ヒミコは橋梁の下を、それほど余裕もなく通過して行った。

この晴海橋梁は、臨港鉄道の数少ない遺構の一つで、人道橋、公園としての活用が検討されているが、その結論はまだ決まっていないという。

しかし、中央道でのトンネル事故の例もあるように、老朽化が進むなか早く結論を出して処置をしないと、貴重な歴史の記憶に傷をつけかねない。

老橋梁に、いい老後を考えてやってほしいところだ。



追記)中村勘三郎さんが12月5日に亡くなられた。

とても素晴らしい役者さんで、これからも、もっともっと活躍してほしいと思う方だった。

このブログでも過去2回、隅田河畔に設営された「平成中村座」の観劇記を紹介したが、勘三郎さんは、その時も見事な芸を披露していた。

4月5日、 http://golby.blog.fc2.com/blog-date-20120405.html

5月28日のブログ http://golby.blog.fc2.com/blog-date-20120528.html

に、その時の感想を歌舞伎の素人ながら記してみたので、よかったらご覧下さい。

勘三郎さんのご冥福をお祈りします。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR