私有地にある旧跡~曲亭馬琴

江東区平野にある「深川老人福祉センター」の建物の前に、江戸時代の戯作者・曲亭馬琴の誕生の地を知らせる案内板が立っている。
曲亭馬琴(明和4・1767-嘉永元・1848)は江戸時代後期の読本作者。
「ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家である」とウィキペディアには書いてある。
ということは、彼の作品が、多くのひとたちに読まれたということだ。
代表作は『椿説弓張月』『南総里見八犬伝』。
昔、坂本九ちゃんが「因果は巡る風車」という名文句で語り手を務めたNHKの人形劇「新八犬伝」は、「南総里見八犬伝」を原作としている。
馬琴は滝沢という姓でも呼ばれるが、ウィキペディアによれば、滝沢馬琴という名で作品を書いたものは一つも確認されていないないということだ。
そのため、ここでは曲亭馬琴として紹介する。

馬琴は、父親が旗本の用人を務める下級武士の家に生まれた。
若いころは、様々な武家に奉公したがどこも長続きせず、放蕩無頼の生活を送っていたという。
この曲亭馬琴という名は、「くるわで まこと(廓で誠)」に通じ、遊び場所に来て本気になっている野暮な人間という意味だという説もあるとのこと。
本人の行状を考えると面白い話だ。

馬琴は24歳の頃、当時の人気作家・山東京伝のもとへ出入りを許され、戯作者としての道を歩むことになる。

これは、千代田区「九段下交差点」付近の地図。
付近を走っていると、地図に「滝沢馬琴 硯の井戸跡」という旧跡があり、興味を持った。
地図の下の方に載っている。
あとで調べると、馬琴が戯作者として歩み始めた27歳の頃、生活の安定のため、この地の履物商の婿となったのだが、家業には関心を示さず文筆業に打ち込んでいったという。
そのゆかりの井戸が残っていたのだ。
つまり、作品を書く墨をその井戸水で磨(す)ったということだ。

早速、その旧跡「硯の井戸跡」を訪ねることにした。
地図を見て、書かれた場所近くに行ったのだが、そのような旧跡があるような気配は全くない。
何度もこの付近を確認したが、それでも見つからない。
そして、このマンション入り口の左の塀のところに小さな看板を見つけた。

井戸跡は、この奥にあるという。
最近は、こうしたマンションの内部に入っていくには、なかなか勇気がいる。
不審者と思われそうで、気後れしてしまう。
まして、カメラを持っていると警察に通報されてしまうのではとの不安もよぎる。
「でも、案内板があるのだから、大丈夫なはず」と思い、中に進んだ。

右手に入り口が見えてきた。
この先に、井戸跡があるようには見えない。
何処にあるのだろう。

玄関の前まで行くと、やっとあった。
これが「硯の井戸跡」。
「なんだ、こんなものか」というのが正直な第一印象だった。
こうして、マンション前の狭い空間に残っている様子を見ると、馬琴が使っていた当時のことをイメージしようにも出来ない。
江戸時代の暮らしの風景は、私の脳裏に浮かんでこなかった。
実際は、馬琴は27歳から58歳までの31年間もここに暮らしていた。
南総里見八犬伝の執筆を開始したのは48歳のとき、以来28年間もかけて完結しているから、この地では前半の10年間分を執筆したことになる。
そんなことが分かったのは、家に帰って曲亭馬琴のことを調べてからのこと。
井戸を目にしていた時は不審者と思われたくない思いもあり、写真を撮るだけで、早々に退散してきたのだった。
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