「おじいちゃん子」家光~東照宮


芝東照宮

港区芝公園にある「芝東照宮」。

祭神は東照大権現、即ち「徳川家康」だ。
ご神体は、60歳を迎えた家康が自ら命じて彫刻させた等身大の家康像。

本殿

ご神体は、増上寺境内の家康を祀る廟・安国殿に安置されていたが、明治初期の神仏分離によって安国殿は増上寺から分かれて東照宮と称した。

その安国殿を造営したのは、家康の孫で3代将軍の家光。

大正4年(1915)には旧国宝に指定されたが、昭和20年5月25日の東京大空襲で、そのほとんどが焼失してしまった。

残ったのは、ご神体の像と、家光の手植えといわれるイチョウだけだった。

現在の本殿は昭和44年に再建されたものだ。

霊夢像

これは家光の夢の中に出てきた家康の姿を、御用絵師の狩野探幽に描かせたもの。

「東照大権現霊夢像」といわれるもので、夢に現れた家康を描いたものは10枚を超える。

家光はそれほど家康の夢を見ていたということだろう。

そしてまた、それほど家康を深く崇敬していたということなのだろう。

幼いころ病弱で容姿も美麗とは言えなかった家光。

父である2代将軍秀忠は二つ年下の弟・国松(のちの忠長)を寵愛したことから、乳母の春日局が家康に訴え、家光の世継ぎが決定されたとの話は、様々な歴史番組で見たことがある。

空襲でほとんど焼失

家光が、世界遺産にも指定されている日光東照宮の大規模改築をしたのは寛永11年(1634)。

一方、芝東照宮の前身の安国殿を造営したのは寛永10年(1633)、その再建は寛永18年(1641)だから、

二つの東照宮はほぼ同じ時期に作られている。

しかし、こちらはの東照宮は空襲で焼けてしまい、日光とは比べるべくもない。

家光のイチョウ

これは、空襲から焼け残った大イチョウ。
現在の本殿の近くにある。

案内板には「寛永18年(1641)安国殿の再建に際し、家光が植えたものと伝えられる」と書いてある。

事実ならば、樹齢は370年ほど。
幹のまわりは約6.5mで、東京都の天然記念物に指定されている。

台徳院殿霊廟惣門

芝東照宮のすぐ近く、100メートルも離れているかどうかの場所に建つ「台徳院殿霊廟惣門」。

家光の父・秀忠の霊廟の門だ。

これは門の内側から、日比谷通りの方向を写したもの。紅葉が美しかった。

秀忠の霊廟も、空襲のために殆んど焼失してしまい、この地に残る建築はこれだけだ。

夜景

ライトアップされた「台徳院殿霊廟惣門」を正面から撮影した写真。

空襲がなければ、父・秀忠の霊廟と祖父・家康を祀った安国殿(芝東照宮)がこの地に並ぶようにして建っていたはずと思うと感慨深い。


その治世中に徳川時代の基礎ができたといわれる3代将軍・徳川家光が亡くなったのは慶安4年(1651)、数えで48歳であった。

家光は、祖父・家康のそばに葬られることを望み、それにしたがって日光に葬られている。

身につけていた守袋に「生きるも 死ぬるも 何事もみな 大権現様次第に」等と書いた紙を入れていたというから、家光は家康をまさに神様のように思っていたのだろう。

400年式年大祭

「平成27年 東照宮四百年式年大祭」と書いた立札が「芝東照宮」の敷地に建っていた。

平成27年(2015)は、家康が元和2年(1616)に亡くなってから400回忌の年となる。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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