東京駅南口~昔は乗車専用だった


開業間もない東京駅

再び、改装なった東京駅のお話。

東京駅の開業は、大正3年(1914)12月18日。

間もなく98年を迎える。

端から端までの長さは335m、東京タワーより2メートルも長い堂々たる駅だ。

その当時は、駅の向かって左側は降車専用口、真ん中は皇族・貴賓者の専用口、右側は乗車専用口だった。

内装も復元された

これは、右側・乗車専用口だった南口のドーム内部。

内装も開業当時の様子に再現された。

観光名所になった

東京駅は、東京の玄関だけに、全国からやってきた人がここで乗り降りする。

今年の10月、開業当時の東京駅の姿に復元されてから、一躍観光名所になった感がある。

駅前や構内では、最近は連日、記念写真を撮ろうという人達であふれ返っている。

切符販売機

南口の改札口の左横に、切符の自動販売機がある。

その横に黒いプレートがあるが、近づいてみるとこんなふうに書いてある。

プレート

「原首相遭難現場」。

平民宰相といわれた「原 敬」が暴漢に襲われ、落命した場所だ。

時は、大正10年(1921)11月4日。

今から89年前のことだった。

原敬

原敬は、盛岡藩士の家に生まれている。祖父は盛岡藩の家老も務めた上級武士の出だが、平民宰相といわれるのは爵位を固辞したからであるとのこと。

原敬は、当時の立憲政友会の総裁として、京都で行われる大会に出席するため東京駅についたところを襲われている。

プレートの内容

ウィキペディアによれば、

「犯人は大塚駅の駅員で、以前から原敬首相に対して批判的な意識を持っていた。

供述によれば、原が政商や財閥中心の政治を行ったと考えていたこと、野党の提出した普通選挙法に反対したこと、などで暗殺を考えるようになったという。

東京地裁の裁判では死刑の求刑に対して、無期懲役の判決を受けた。

その後の東京控訴院・大審院でも判決は維持され確定した。

裁判は異例の速さで進められ、また調書などもほとんど残されていないなど謎の多い裁判であり、その後の犯人の特別な処遇(3度もの大赦で1934年には早くも釈放された)などもあって、事件に関する政治的背景の存在を推測する論者も多い」と書かれている。

まだ、100年もたっていない事件なのに、まだ謎を抱えているようだ。

事件現場

殆んどの人は、改装された駅の内部を写真に収めるなどしていたが、こんなプレートがあることに気付いた人はほとんどいなかった。

そして、床につけられた丸い点が、凶行現場であることを示すものだ。

東京駅警備巡査派出所

これは東京駅と同じ大正3年に作られた「東京駅警備巡査派出所」。

東京駅南口の駅前広場にあったものだが、現在は愛知県にある明治村で保存されている。

レンガ造りで、東京駅のデザインとマッチした建物だ。

昭和44年、東京駅の駅前広場の改修に伴って、解体されてこの地に運ばれてきた。

当時の南口の前

派出所の内部に、建設された当時の駅前の様子を写した写真が飾られていた。

それが、この写真。

天皇の地方巡行や皇居を訪れる外国使節などの往来が多かったことから、この派出所には多い時で12人の警察官が詰めていたという。

しかしながら、東京駅では、この9年後の昭和5年11月に、当時の首相・浜口雄幸がピストルで狙撃されるという事件が発生する。

そしてその後の、5.15事件、2.26事件などを経て、

世の中は少しずつ戦争の時代へと歩みを進めてゆくことになる。

スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
スポンサードリンク
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR