「赤ひげ」の養生所~小石川植物園


植物園内

先日訪ねた「小石川植物園」。

江戸時代、8代将軍吉宗の時代に、薬になる植物を育てるための「御薬園」を作ったのがその前身だ。

この場所は、以前は5代綱吉の小石川別邸があったところ。

現在、広さは16ヘクタールもあり、中を歩くと実に広い。

薬用植物

園内には「薬園保存園」があり、今も様々な薬用植物を栽培している。

前にも紹介したが、園内の植物には、ほとんどすべての植物に名前を書いた札がつけられている。

だから、もし私がこの植物園の中で育っていれば、2~3年で簡単な植物図鑑に乗る植物の名前を覚えてしまっただろうと思う。

環境は大事だ。

ヤマトリカブト

「薬園保存園」に、ヤマトリカブトが植えられていた。

ちょっと物騒な植物だ。

「世界最強と言われる有毒植物である」と説明するサイトもある。

名札につけられた説明では「強心、鎮痛、利尿」に効果があると書いてある。

トリカブトの毒は「附子(ブス)」とも呼ばれ、狂言にも「附子」という演目があるというのを以前聞いた。

不美人のことをブスというのは、「毒で神経に障害を受け、顔の表情がコントロールできずに変な顔になることに由来する」と、ウィキペディアに書かれていた。

ウコン

ウコンの効能は、「健胃、利胆」とのことだ。

甘藷試作地

「薬園保存園」のすぐ近くには、「甘藷試作跡碑」が建てられている。

青木昆陽が飢饉対応として幕府に進言し、吉宗の命を受けて3か所で試験栽培をしたうちの一つがこの地であった。

栽培の成功でサツマイモは広く普及し、その後の飢饉の中でも多くの人命を救うことになった。

養生所井戸

そして、甘藷試作跡のすぐ近くに、井戸がある。

実はこの井戸は、黒沢明の映画で知られる「赤ひげ」ゆかりの井戸なのだ。

赤ひげとは、小川 笙船〈おがわ しょうせん、寛文12年(1672) - 宝暦10年(1760)〉という名の町医者で漢方医のこと。

小川 笙船は、享保7年(1722)、吉宗が設けた目安箱に、江戸の貧困者や身寄りのない者のための施薬院を設置することを求める意見書を投書した。

それを見た徳川吉宗は、南町奉行・大岡忠相に養生所設立の検討を命じる。

忠相から構想を聞かれた小川 笙船は、

1.身寄りのない病人を保護するため、江戸市中に施薬院を設置すること
2.幕府医師が交代で養生所での治療にあたること、などを進言した。

説明


当初は薬草の効能を試験することが密かな目的であるとする風評が立ち、利用が滞ったが、
風評の払拭に務めたため入院患者は増加し、その後は定数や医師の増員を随時行ったという。

当初、収容患者は40人だったが、のちには170人に増えたということだ。

こうしてみると、ここ「小石川植物園」にある2つの歴史的資料はいずれも吉宗の治世時代のものだ。

井戸

江戸の街は、その頃すでに世界有数の大都市。

貧しく、身寄りのない病人もかなりの数に上っていたに違いない。

そんな中、側近に政治を頼り任せるのではなく、目安箱を作って自ら民意をすくい上げようとした吉宗は「名君」といってもいいのだろう。

そして、時の為政者に堂々と自分の考えを進言し、実践した青木昆陽と小川笙船。

小石川植物園は、こうした人たちのエピソードを胸に散策すると、一層興味深い。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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