ジョセフ彦の住居跡~横浜中華街


横浜中華街

横浜の中華街。

中華料理の店が「これでもか」というぐらい立ち並ぶ「食のワンダーランド」。

何回訪ねても、楽しい場所だ。

暫く前は、「回転寿司」ならぬ「回転飲茶」の店が面白くて何回か通ったことがある。
手頃の値段で、多様な中華料理が味わえるので、そこそこ繁盛していたが、まだ営業しているかどうか。

関帝廟

この中華街がある場所は、もともとは外国人居留地だった。

幕末の安政6年(1859)、諸外国の圧力で横浜が開港され、外国人の居留と交易が認められた。

開港に伴って西洋人は中国人を伴って訪れ、漢字の筆談で日本との貿易の仲介をさせたという。

これは中華街の中にある「関帝廟」。

「中国人の一人が、幕末の文久2年(1862)に建立すると華僑の人たちが集まるようになり、現在の横浜中華街に発展していったといわれる」とJRの鉄道開業140周年のパンフレットに載っていた。

「関帝廟」は三国志の主人公の一人、豪快な武将・関羽を祀ったもの。

何故、あの豪傑が祀られているのか知らなかったが、廟の横に説明があった。

それによると
「関羽の、誠を尽くし約束事を守る精神が、商人にとって最も大事であることから、商売の神様としてまつられることになった」ということだ。

尚「関羽は武将として兵站に精通し、記帳にも長けて、昔の中国社会で使われていた簿記法を発明した」とも書いてあり、「へえー」そうだったのかという感じだった。

新聞発祥の地

この「関帝廟」から、10メートルほど離れたところに「ジョセフ彦」の記念碑がある。

先日、青山霊園の外人墓地でジョセフ彦の墓を見つけ、ブログでも紹介した(10月10日)。

ここは、ジョセフ彦が、日本で初めての新聞を発行した場所なのだ。

ジョセフ彦

前にも、彼の生涯を簡単に紹介したが、ここでも短く紹介しておこう。

ジョセフ彦は、天保8(1837)年に(今の兵庫県)播磨町の漁師の家に生まれた。幼名は彦太郎。

13歳のときに遠州灘で暴風で遭難したがアメリカの商船に救われる。

サンフランシスコに連れて行かれた彦太郎は、子供がいなかったサンダースという税関長に可愛がられ、ワシントンや二ユーヨークで電信・ガス燈・汽車などの文明を見る経験を重ねた。

また、学校教育を受けさせてもらい、カトリックの洗礼も受けたジョセフ彦は、嘉永6(1853)年に時の大統領ピアースに謁見。
これは、アメリカ大統領と正式に会見した「最初の日本人」という栄誉だった。

また、安政4(1857)年には大統領ブキャナンとも会見している。

21歳のとき、初代駐日総領事ハリスに伴われて日本に帰国する。

通訳として、幕府との間で日米修好条約などに奔走するが、攘夷勢力から外国人として狙われ、文久元(1861)年に一旦アメリカに戻った。
 
この渡米中の文久2(1862)年、ジョセフ彦はリンカ-ン大統領と会見し、民主主義の理念を伝授されたとも云われる。

その後、再度日本に戻ったジョセフ彦は、横浜で再びアメリカ領事館の通訳の仕事につくが間もなくやめて、横浜の外国人居留地で貿易商を始めた。
 
そのころ、リンカーン大統領が南北戦争の激戦地ゲティスバーグで「人民の人民による人民のための政治」と有名な演説を行う。

ジョセフ彦は、その反響を載せた「ニューヨークタイムズ」を目にして新聞の威力に感嘆し、日本での新聞の発行に取り組むことになる。

海外新聞

元治元(1864)年6月28日、わが国の民間による最初の新聞「新聞誌」を創刊する。

これは「海外新聞」、
翌慶応元年(1865)5月に「新聞誌」を改題したものだ。

「海外新聞」は、諸外国の珍しい話題、事件、貿易の状況やアメリカ史といった読み物も載せ、発行は1か月に平均2回、毎号の部数は100部程度で、ほとんど無料で配付したということだ。

外国人居留地

ジョセフ彦の新聞発行は、横浜の居留地で火災が発生したことで終わる。

その後、長崎に移り、英国商館と鍋島家との間を斡旋し、高島炭坑の共同経営を成立させたり、1869年(明治2)には大阪造幣局の設立に尽力したりしている。

また慶応3(1867)年、木戸孝充と伊藤博文は長崎にジョセフ彦を訪ね、米英の歴史・国家制度・政治内容などを質問している。

このことが明治日本の国家運営に与えた影響は少なからずあったのだろう。

ジョセフ彦は60歳で亡くなり、青山霊園の外人墓地に葬られた。

最後に、その墓石をもう一度ご紹介しよう。

墓碑名は漢字で刻まれ、運命のいたずらでアメリカに帰化したジョセフ彦の母国への思いが感じられるものだ。

「浄世夫彦」
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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