加賀百万石ゆかりの洋館

駒場公園

目黒区駒場の駒場公園にある「旧前田侯爵家駒場本邸」を訪ねた。

ここは、駒場公園の入り口。

駒場公園全体は、「利家とまつ」につながる加賀前田家当主の邸宅の跡で、敷地は1万5千坪もの広さがある。

ここに移る前、前田家の本邸は文京区本郷にあり、関東大震災後の復興計画に関連してこの地に移ったという。

そういえば、東京大学の赤門は、加賀前田藩の屋敷の門であったことは、よく知られている。

地図

駒場公園は京王線の「駒場東大」駅の近くで、付近には近代文学館や日本民芸館がある閑静なところだ。

栄華のあと

公園に入り、洋館の近くまで来るとこんな案内が建っている。

「栄華の跡」とある。
この言葉には若干の違和感を感じた。

確かに、今の前田家に昔のような力はないとは思う。

しかし、前田家が無くなったわけでもなく、没落したわけでもないので栄華の跡というのはちょっと言い過ぎのような気がした。
(金沢では、前田家の現当主の姿をテレビなどで何回か拝見した)

洋館入口

この洋館は昭和4年(1929)、当時の前田家17代・前田利為(としなり)によって建てられた。

外国生活が長かった前田利為は、外国要人の私設迎賓館に相応しい建物の建設を目指したということだ。

入り口付近

玄関を入ってすぐのホール。
右手の旧応接室は、今は喫茶室になっていて、訪れた人がここでお茶を飲むことができる。

右手奥は旧サロン。

赤いじゅうたんが目に鮮やかだ。

長女個室

長女居室とある。

長女とは、一時期、マナー評論家、皇室評論家としてテレビやマスコミに登場していた酒井美意子さんだ(1999年に73歳で亡くなられた)。

美意子さんは、利為氏の長女に生まれ、酒井家に嫁いだ。
こんなに広い屋敷に暮らしていたのだと、改めて思う。

三男居室

こちらは三男の居室。

広角で撮影しても部屋全体を移せないほど広い。

長女の部屋はこの部屋の1.5倍もある。

見取図

この洋館の建坪は670坪、100人以上の使用人が働いていたという。

書斎

この部屋は書斎。

17代当主・前田利為は軍人で、陸軍士官学校では東条英機と同期だった。

 先出の長女・酒井美意子の  『ある華族の昭和史』によると

「生来、父と東条はソリが合わず、父は東条を『頭が悪くて先が見えない男』と批評し、東条は父に、『世間知らずの殿様に何がわかるか』と反発した」とある。
二人の仲は良くなかったようだ。

ところが昭和17年、利為は北ボルネオで、乗っていた飛行機が墜落し、死亡。
大将に特進する。

築地・本願寺で行われた葬儀で弔辞を読んだのは東条英機であったという。

庭から見る

この建物は、利為の死によって私人の手に渡るが、終戦で占領軍に接収された。

昭和32年に接収解除となり、昭和42年東京都が公園として開園。

昭和50年には目黒区に移管されている。

現在この洋館は、毎週月・火を除く毎日、午前9時から午後4時30分まで 一般公開されている。

旧華族の邸宅は、庶民にとっては普通は映画の中でしか見ることのない場所。

実際に、中に入り、様子を見せてもらうと歴史が一層身近になる。

前田家の歴史を通して、日本の歴史が、ほんの少し以前より見えてきたような気がした。


尚、鎌倉には「旧前田侯爵家別邸」があり、現在は「鎌倉文学館本館」として利用されているという。

いつか、訪ねてみることにしよう。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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