キヨッソーネの仕事~貨幣博物館


日銀本店

日本橋・三越の近くにある「日銀本店」本館の建物。
東京駅と同じ辰野金吾の設計で、1896年(明治29)に竣工した。

日本銀行は、いわゆる「Bank of banks」、一般人がこの建物に入り、お金の出し入れをしたりすることはないから、身近な存在とは言えない。

日本銀行の役割は「物価の安定」「金融システムの安定」で、具体的には日本銀行券(お札)の発行・管理、そして政策金利(公定歩合)の操作などによる通貨流通量の調整といった金融政策が主な仕事だ。

貨幣博物館

日銀旧館前にある南分館には貨幣博物館があり、世界や日本の貴重な貨幣などがあるとのこと。

前々から訪ねたいと思っていたが、今回、初めて訪ねてみた。

展示内容

常設の「日本貨幣史」のほかに、「有名人が描かれた世界中のお札」が企画展示されていた。

1億円の重さ

早速、中に入る。

これは1億円の重さを体験することができるコーナー。

1億円の重さは10kgもあり、なかなかの手ごたえだ。

館内で撮影できるのは、ここまで。
このあとは、パンフレットの写真で紹介していきたい。

天正大判

これは豊臣秀吉が作成を命じた「天正大判」。

長径は17センチ、重さは165.4グラム。

そのうち純金量は115-122グラムある。

10月22日現在の金の買取価格、1グラム・4564円で計算すると、52万円余りになる。

表面に見える墨書は消えやすいから、秀吉は通貨として通用させるつもりはなく、

手柄の恩賞として与えたものだという。

現存するものは極めて少ないから、1枚で数千万円から、ひょっとすると億の値がつくものらしい。

展示の説明を見て面白かったのは、江戸時代に何回か金貨の改鋳が行われ、金の含有量が変化することによって、物価が変化したということだ。

例えば、正徳・享保の改鋳では、金の含有量を増やして質を高めたため金貨の流通量が減り、物価は下落したという。

通貨流通量で物価のコントロールを行うのは今日でも行われているから、すでに江戸の昔から行われていたことに驚いた。

神功皇后札

これは、日本で初めて肖像が描かれた紙幣である「神功皇后札」。

神功皇后を描いたのは紙幣寮(現在の大蔵省印刷局)のお雇い外国人でイタリア人のエドアルド・キヨッソーネという人。

10月10日のブログで、青山墓地の「外人墓地」に眠る人物の一人として紹介した人だ。

キヨッソーネの仕事に、貨幣博物館で出会ったのだ。

神功皇后の肖像を見ると、西洋風の容貌をしている。
いかにも外国人が描いたことを思わせる仕上がりだ。

キヨッソーネという人は、この他にも私たちがよく見かける肖像画を描いている。

明治天皇

これは明治天皇。

西郷隆盛

これは西郷隆盛像。

西郷とは面識もなく、写真もなかったため、弟の西郷従道と大山巌をモデルに合成したものだとウィキペディアに書いてあった。

こうしてキヨッソーネは、様々な肖像画を手掛けたほか、印紙や政府証券の彫刻をはじめとする日本の紙幣・切手印刷の基礎を築いた人物だ。

彼は、明治政府から得た高額の報酬で日本の美術・工芸品を買い、イタリアに送っている。

そうした作品は現在はジェノヴァ市立のキヨッソーネ東洋美術館に収蔵されているという。

彼は紙幣寮を退職後も日本に留まり、1898年に東京・麹町の自宅で逝去、享年65。

青山霊園のキヨッソーネの墓

これが青山霊園の外人墓地にあるキヨッソーネの墓。

明治のはじめ日本は、西欧諸国に追いつくために多くの外国人の力を借りたが、外国人の中には故国に帰ることなく日本に骨を埋めた人も数多い。

墓の裏には日本語で名前が

墓石の裏側に回ると、「エドアルド・キヨッソーネ先生墓」と漢字で記されている。

日本人と濃密な関係を持ち、彼らから慕われたであろうことが窺える。

そうした人物がいたことを、忘れないようにしたいものだ。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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