「名建築家ジョサイア・コンドル」を走る


三菱1号館

今回のジョギングは、明治のはじめに日本に招かれ、幾多の名建築を残した「ジョサイア・コンドル」を訪ねるコースとすることにした。

はじめに訪れたのは、コンドルが三菱の顧問となって手がけた千代田区丸の内の三菱一号館裏手の中庭。

三菱1号館はコンドルの設計で建てられ、1968年に取り壊されたが、2009年復元されて今は美術館になっている。

ここにあるベンチに座っているのがジョサイア・コンドルだ。
以前紹介した「ベンチアート」のイベントが14日まで開かれていて、コンドルの像もゆかりの場所で静かにたたずんでいる。

写真右手に小さく写っている。

コンドル

ジョサイア・コンドル(1852-1920)は、イギリス出身の建築家。

お雇い外国人として来日し、政府関連の建物の設計を手がけた他、

のちに民間で建築設計事務所を開設し、財界関係者らの邸宅を数多く設計した。

手がけた建物には、鹿鳴館をはじめ、現在に残る建物では、三田の「三井倶楽部」、高輪の「三菱開東閣」、「旧岩崎邸庭園洋館」などがある。


また、コンドルは工部大学校(現・東京大学工学部建築学科)の教授として、人材の育成にも力を尽くし、多くの有為の建築家を育てた。

その中には、日本銀行本館や東京駅などを設計した辰野金吾、赤坂の迎賓館を設計した片山東熊(かたやまとうくま)、慶応義塾大学図書館を手掛けた曽根達蔵(そねたつぞう)などがいる。

ニコライ堂

この日の目的地は、北区西ヶ原にある「旧古河庭園」。コンドルが設計した建物だ。

日比谷通りを北上し、御茶ノ水駅の手前に来ると、左手に「ニコライ堂」が見えてくる。

実は、この建物もコンドルゆかりの建物だ。

正式には、日本ハリストス正教会の「東京復活大聖堂」といい、設計はロシアのシチュールポフ博士だが、コンドルが工事監督を務め、明治24年に完成している。

ニコライ堂の横を通り、本郷通りに出て、駒込の駅を過ぎると左手に、目指す「旧古河庭園」が見えてくる。

旧古川庭園

この土地は、元は明治の元勲・陸奥宗光の別邸だった。
宗光の次男が古河財閥の養子になったため古河家の所有になったものだ。

敷地内部はかなりの高低差がある。
高台に建つ洋館と、低地の池に続く斜面に作られた「洋風庭園」を設計したのがコンドルだ。

バラ園

テラス式の庭園にはバラが植えられていて、間もなく「秋のバラフェスティバル」が始まる。

私が訪れたときには、バラは5分咲きだった。

日本庭園

洋風庭園の下には心字池があり、所々に見事な灯篭が配置されている。

日本庭園の作者は、京都の庭師・小川次兵衛。

「旧古河庭園」は、大正初期の庭園の原型をとどめる貴重なものとして、平成18年に国の名勝に指定された。

隣のマンション

日本文学者で日本に帰化したドナルド・キーンさんは、北区の名誉区民だ。

この「旧古河庭園」を見渡せるマンションに住んでいて、執筆の合間に時折り、この庭園を見て過ごしているという。

そして、この庭園を設計したコンドルもまた、来日してから殆んどの人生を日本で送り、日本の文化を愛した人でもあった。

河鍋暁斎に師事して日本画を学んだ他、日本舞踊の師匠であった女性と結婚、生涯を共にしている。

コンドルの墓は愛妻・くめと共に文京区の護国寺にあるという。

三井倶楽部

日没後、三田2丁目(旧三田綱町)にある三井倶楽部の前を通った。

出来てから来年でちょうど100年を迎える建物が、淡い照明の中に浮かび上がって見えた。

美しい造形を見ているうちに、なんでも鑑定団の決め台詞「いい仕事をしていますねー」との言葉が、脳裏に浮かんだ。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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