歌川広重が生まれた地~馬場先門付近


馬場先門から日比谷

皇居前の馬場先門から日比谷交差点の方を撮影したもの。

この付近の大手町や京橋を走っていて、歌川広重にゆかりの場所と出会った。

まずは、写真に写る日比谷通りから一本、銀座通りの方に入った道で見かけた古地図だ。

古地図

江戸時代、このあたりは江戸城のすぐ前ということもあって、大名屋敷が立ち並んでいた。

その中にあって、馬場先門の前に「火消与力組屋敷」という文字が見える。

「東海道五十三次」「名所江戸百景」などで人気を博したのみならず、ゴッホにも大きな影響を与えた歌川広重(1797-1858)は、江戸の八代洲河岸(やよすがし)定火消屋敷の同心、安藤源右衛門の子として誕生した。

定火消とは、いわば幕府の直営の消防隊で、同心とは、与力の配下で公務につく下級役人のこと。
彼らは江戸城の消火と警備を主な任務としていた。

明治生命ビル

定火消屋敷があったのは、ちょうど今の明治生命ビルが建つあたり。

八代洲河岸というのは、豊後に漂着したオランダ人で家康に重用されたヤン・ヨーステンが屋敷を拝領した場所で、東京駅の八重洲口の由来ともなっている。

年譜

広重は数え13歳で父の同心職を継ぎ、15歳の頃、歌川豊広に入門、歌川廣重の名を与えられた。

26歳の時には、嫡子に家督を譲って、家業の火消同心を辞め、絵師に専心している。

江戸乃華

これは広重が23歳の時に描いた「江戸乃華」と題する絵。

英語では「Heroes of Edo」と訳されていた。火消しが江戸のヒーローというのも面白い。

四谷の消防博物館に展示されていたものだ。

火消しの様子が、巧みな筆使いで表現されている。

京橋1丁目

こちらは、中央区京橋一丁目、ブリヂストン美術館の裏手の通り。

走っていたら、偶然、広重の住居跡と書かれた案内板と巡りあった。

画面左下に、黒く見える。

案内板

説明によると、広重が52歳から亡くなるまでのおよそ10年間を過ごしたところで、「名所江戸百景」はこの地での代表作と書いてある。

地図

案内板には、当時の地図の一部も紹介されていて面白い。

「狩野永徳」、「画廣重」と個人名が書かれているのは、当時、相当な知名度があった人物だったということだ。

絵師として、広く認められていたということだろう。

大木戸

港区高輪に残る「大木戸」跡の石垣。

江戸の出入り口とも言える場所であった。

高輪月夜

170年ほど前の様子を広重が描いている。

現在は、第一京浜の道路脇にひっそりと残っている石垣だが、当時、すぐ横は海だったことがわかる。

日本にカメラ機材が初めて輸入されたのは1848年、オランダからだった。

広重の時代までは、風景や暮らしをビジュアルに記録するものは、概ね、絵しかなかったということだ。

その意味で、広重が描いた場所を、現在と比べながらジョギングするのは興味深い。

しかし、広重の描いた当時の面影を残すところは、今は殆んどない。

世界がすごいスピードで変わっていることがわかる。

特に最近の変化はものすごい。

過去の歴史の中では決してなかったスピードで、今世の中は動いている。

科学技術の進歩で、これからそのスピードがもっと速くなるのは間違いない。

その変わり様は、恐ろしいほどだ。







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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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