「しながわ宿場まつり」~旧東海道の賑わい


旧東海道入口

ここは、第一京浜から旧東海道が分かれるところ。
八ツ山橋で第一京浜と別れ、ひとつ海よりの道に入ると、そこが旧東海道だ。

この日は「しながわ宿場まつり」が開かれていたので、自動車は通行止めになっていた。

この車の前、すぐのところに京浜急行の踏切がある。
北品川の駅は、ここから右奥へ、少し行ったところにある。

パレードに人が集合

旧東海道に入ると、江戸時代の装束に身を包んだ多くの人たちが集まっていた。

正午から始まる江戸風俗行列・交通安全パレードに参加する人たちだ。

観客やアマチュアカメラマンもたくさん集まっている。

土蔵相模の前で

パレードの先頭を行く白バイに、小さな子供が乗せてもらっていた。

ここは江戸時代、食売旅籠屋(めしうりはたごや)の「土蔵相模」のあった場所。

高杉晋作、井上馨、伊藤博文など長州藩士13人が、近くに建設中だった英国公使館を焼き討ちするために集まったところとして知られている。

今からちょうど150年前(文久2年・1862)の出来事だ。

写真の、この子供の頭の上のところに、そのことを記した案内板が見える。

江戸風俗行列1

パレードは、北品川から新馬場を経て青物横丁の先の品川寺(ほんせんじ)までの間で行われた。

江戸風俗行列は、昔、東映の時代劇で見た覚えのある武士や魚売りの町人、奥方から腰元まで実に様々な扮装をした人たちの長い列が続いた。

参加している皆さんは、とても楽しそうだった。
そして堂々と江戸の人になりきっていた。

江戸風俗行列2

茶店の娘の格好をした女性は、パレードのあと、イベントが行われている会場でお客さんの案内にあたっていた。

また、森重流砲術鉄砲隊の人たちも、演舞に使う鉄砲を持って参加していた。

町並み・商店1

火渡りの荒行を行う山伏姿の一団もいて、法螺貝を鳴らす様子も見ることが出来た。

また旧東海道には、歴史を感じさせる建物もいくつか残っている。

左下は畳屋さん。

右下のお宅は水道工事の仕事で、明治27年創業と書いてあった。

お店

左上の履物屋さんは、我々世代には懐かしい店構えだ。
店頭には、雪駄が吊るしてあった。

絵柄入り煎餅、餅つき、お蕎麦屋さんの三度笠、こちらもなんとなく楽しい。

イベント出演者

イベント会場には、大道芸を披露する沢山の芸人達が来ていた。

先日、芝大神宮で芸を披露する「大道芸研究会」の人たちを紹介した。

ここで見かけた人の中にも、退職後第二の人生で大道芸の道に入り、研鑽を積んでいるのではないかと思わせる人が何人かいた。

団塊の世代が定年の年を迎えてから、しばらくが経過した。

各地の祭で、昔懐かしい大道芸を見る機会が最近急に増えた気がするのは、もしかするとそんなことが背景にあるのかなと思った。

街道は大賑わい

東海道の品川は、中山道の板橋、日光・奥州街道の千住、甲州街道の内藤新宿とともに江戸四宿のひとつ。

そのうち、人々の往来が最も多く、賑わったのは品川だった。

しかし、現在では旧東海道を行き来する人の数は、私の印象では多いとは思えず、賑やかさもない。

旧東海道を時折ジョギングするのだが、この日のように賑わっているのは、これまでにはあまり見たことはなかった。

しかし、祭りの期間中は、いつもとは活気が違った。

地域の人たちが全員で祭りを作り、楽しんでいるように見えた。

「しながわ宿場まつり」は、今年で22回目、すっかり定着したように見える。

「ふるさとの歴史は、大きな財産なのだ」と思った。


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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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