「日本のCMのぜんぶ」1953-2012

カレッタ汐留

いつまで残暑が続くのだろう。東京では、最高気温が30度を超える真夏日がまだ続いている。

予報では、1週間後もまだ続きそうな感じだ。

こう暑いと日中は走れないので、歩くことにした。

歩いて、涼しい文化施設をめぐることにしたのだ。

ここは、新橋から近いカレッタ汐留。
ここにある「アド・ミュージアム東京」が、今日の目的地だ。

ポスター

ここは、吉田秀雄(電通の第4代社長)記念事業財団が運営している「CMの博物館」といってもいい施設だ。

現在「日本のCMのぜんぶ 1953-2012」という、とても面白い企画展示が行われている。

日本でテレビ放送が始まってから今日までの「テレビCMの名作500余本」を、全て見ることができる。

感心するのは、テレビ放送が始まったばかりの頃に放送されたCMも、当時と同じように動画で見ることができることだ。

ところで、日本初のテレビCMは、何だったかご存知ですか?

初のテレビCM

1953年8月28日正午、日本テレビで放送された「服部時計店の正午の時報」だった。

CMのコメントは「腕時計は1秒間に5回、1昼夜には43万2千回も回転しております。1年に1回は必ず分解掃除をいたしましょう。精工舎の時計が正午をお知らせいたします」

という予定だったが、フィルムの装填の際に裏返しだったため音が出ず、映像だけ30秒間放送されたという。

この写真は、夜7時の時報のようだ。

はっぱふみふみ

これは、1969年当時、世間をあっと言わせたCM「はっぱふみふみ」。

大橋巨泉の、意味不明だけど、どこか面白い語りかけが、今も忘れられないCMだ。

このCMの効果で、業績不振だったパイロット万年筆は立ち直ったのだとか。

リヤ王

これは、名優マルチェロ・マストロヤンニを起用したカネボウ化粧品のCM「リヤ王」。

会場の「スターを起用したCM」のコーナーで再生されていたのを、偶然見たのだが、コメントにしびれたので思わすメモしてしまった。

マストロヤンニがリヤ王の扮装して、こんなことを語っていた。

「他人(ひと)の人生を演じるのはたやすい。
だが、自分の人生は難しい。

それは脚本がないから

そして一度きりの人生だから」

コメントは急いでメモしたので正確ではないが、だいたいこんな感じだった。

放送していた当時、このCMを見た記憶はないが、今見ても、訴えるものがある作品だ。

黄桜「和解」

そしてこれは、2007年に放送された黄桜のCM。

今でも、放送当時の驚きを思い出す。

いわゆる「空白の一日」で、世の中を騒がせた、プロ野球の「江川と小林のトレード」。

その二人の当事者が、28年後に語り合うというドキュメンタリー広告とも言えるものだった。

この騒動は、1978年・昭和53年11月に起きた。

前年のプロ野球ドラフト会議で希望する巨人に指名されなかった江川は、指名した球団(福岡のクラウンライター)と入団契約をしないまま、まもなく1年を迎えようとしていた。

入団交渉ができる期間は翌年のドラフト会議の前々日までと決まっている。

そして、問題の空白の一日・ドラフト会議の前々日の次の日、突如巨人軍と江川は入団契約を交わす。

セ・リーグ会長はこれを認めず、翌日のドラフト会議で阪神が江川を指名した。

結局、この騒動では、「江川は阪神と契約し、すぐそのあとに巨人にトレードさせる」という2つの球団の書いた筋書きで解決が図られたのだった。

そして、その時巨人が江川との交換要員としたのが小林繁投手だった。

挨拶とお詫び

このCMが作られたきっかけについて、制作者はこんなことを行っている。

「このCMの発想は黄桜の社長と飲みに行ったとき。プロ野球の話になり、江川と小林の話になったら社長が口角泡を飛ばして論じだした。

だったら、このふたりが差しでお酒飲んでいればいいんですよと言ったら、社長が面白れえと言い出しました」

それから28年後の2007年、2人の対談が行われた。

打ち合わせは一切なし。2人は66分間に亘って、積年の思いを語り合った。

対談


対談から3本のCMがつくられた。

1本目のCMの冒頭、江川は小林に頭を下げてこう語る。
「長いあいだ、本当に申し訳ございませんでした」

小林は、それに対して、こう答える。
「謝ることないじゃん」「しんどかったよな、俺もしんどかったけどな。2人ともしんどかった」

テーマは和解

トレードに出された年、小林は巨人に対して意地を見せ、巨人戦に8連勝するなど22勝を上げる活躍を見せた。

そして翌年、小林と江川の直接対決が実現し、その試合は江川が完投勝利をおさめる。

江川はCMの中でこう語っている。

「負けられない試合って、プロ野球で十何年やるだろうけど、今日と、あと何回しかないと思ったんですよ。
だから、どうしても勝たなきゃならなかったんです」

CMを見た当時、小林投手の大人の対応に感心したことを覚えている。

とても、印象深いCMだった。

その小林繁氏も2010年に57歳という若さで亡くなった。

CMの撮影の様子がyoutubeにあった。



次回は、「このCMで、なんで涙が出るの?」
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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