「後悔」~今頃悔やんでも遅いということ


左内町

福井市の中心部からそれほど遠くない所、足羽山の麓に左内町という町がある。

幕末事情に詳しい方ならご存知、橋本左内ゆかりの町だ。

当時の福井藩主・松平春嶽の側近として活躍、西郷隆盛からも一目置かれた人物で、この地に彼の墓と、その名を冠した「左内公園」がある。

左内像

左内公園にある橋本左内の銅像。

橋本左内は天保5年(1834)福井藩医の家に生まれた。号は「景岳」。

幼少の時から学問を好み、24歳の時には藩校「明道館」(藤島高校の前身)の学監同様心得に就任。

その才能を見込まれ、松平春嶽の側近として活躍する。

人物像1

特に将軍の後継問題では、春嶽の意を受けて、一橋慶喜の擁立に向けて重要な役割を果たすが、それに反対する大老・井伊直弼に捕らえられて、伝馬町の獄内で刑死する。

いわゆる「安政の大獄」だ。
享年、わずか25(満年齢)であった。

人物像2

『長州藩の吉田松陰とともに、「安政の大獄」において日本が失った最も惜しい人物である』との説明も、墓所の近くに紹介されていた。

左内

橋本左内とは一体どんな人物であったのか。

それを知る手掛かりとして、15歳の時に彼が書き残した「啓発録」という文章がある。

自戒のために書いたものだが、15歳の人間が書いたとは思えない立派なものだ。

「自分がこれからどう生きるべきか」、5つの柱を立てて語っている。

啓発録

一、稚心を去る 

稚心とは、幼い心。甘えたりせずに、自立を目指す。

一、気を振るう

気とは人に負けない気持ち。恥辱を無念に思う心を強く持つ。

一、志を立てる

一、学に勉める

一、交友を択(えら)ぶ

こうした内容を、自分を強く諌め、目標にするのだという気概を込めて、書き残している。

左内墓所

この年になって橋本左内の「啓発録」を読むと、「後悔」の念にとらわれてしまう。

これまで、漫然と自分の持ち時間を費やしてしまったことに悔いが残る。

でも、いまさら悔やんでも遅いということだろう。

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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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