立山・みくりが池周辺


室堂へ

久しぶりに立山に向かった。
前日、八尾の「風の盆」を見物したついでに、足をのばしたのだ。

麓の立山駅から、ケーブルカーとバスを乗り継いで、立山登山の基地・室堂に向かう。
所要時間は1時間足らずだが、往復の料金は、大人1人4190円とかなり高い。

それは、アルペンルートの立山有料道路の料金が、バス1台あたり往復で5万400円と、距離あたりで日本一高額なことに理由があるとのことだ。

雪の大谷

立山は江戸時代まで女人禁制の地で、それが解かれたのは明治5年(1872)のこと。

女性による初登頂は翌明治6年のことだという。

今では簡単に室堂まで来られるが、当時、徒歩で山頂を目指すのは大変だったと思う。

ここは、春の観光名所「雪の大谷」。

4月中旬の開通直後、この場所の積雪は15-20mにもなる。

全山深い雪に覆われた中で、道路のところだけ除雪するのは、昔は大変な作業だった。

今から20年近く前、私が富山で暮らしていた頃は、道路脇に高いポールが立っていて、わずかに雪の上に頭を出したポールを手がかりにして、道路に詳しい人の指示のもと除雪が行われていた。

今は、GPSを手がかりに除雪をしているから、道路脇にポールは見えない。

雄山神社

室堂は標高2450m。

この日は日曜日とあって、たくさんの人で賑わっていた。

立山連峰の雄山(3003m)山頂に立つ雄山神社がかすかに見えたので、望遠で撮影してみた。

山頂には、観光シーズンに神職が常駐している。

神職が室堂から山頂を目指して登るとき、特殊な下駄を履いているのを見た記憶がある。

前の歯が短く、後歯が長い面白い形だった。

友人にそんな話をすると、「それでは下山の時は登りとは反対の下駄を履くのか」と聞かれた。

登り下りで違う下駄を履くのでは不便なので、もしかすると自分の記憶違いではないかと思い、ネットで調べてみたが、そこに触れているものは見当たらなかった。

確かに、何かで見たのだか、正確には思い出せない。

みくりが池

今回の立山行では、雄山登山はしないで、みくりが池の周辺を散策することにした。

みくりが池周辺には、まだ雪が残っていた。

多分、この雪は全て溶けることはないだろう。

周辺

この日は天気に恵まれ、周辺の景色は素晴らしかった。

自然保護のため、人が歩けるところは限られている。

雷鳥がいた

散策路を歩いていると、友人が立ち止まってじっと何かを見ている。

雷鳥がいるという。

よくわからなかったが、目を凝らしていると、そこに雷鳥がいるのがわかった。

アップ

望遠で雷鳥を撮影してみた。

雷鳥も、こちらを見ていた。

荷物を背負った人

しばらく行くと、大きな荷物を背負った一行が見えた。

先頭の人は、ビール瓶を入れるブラスチック容器を2つと、そのほかの荷物を背負って重たそうだ。

剱岳

新田次郎原作の映画「剱岳 点の記」を思い出した。

明治40年、立山雄山の先にそびえる剱岳(2999m)に、日本地図の最後の空白地帯を埋めるため登頂した男たちの物語だ。

陸軍参謀本部陸地測量部(国土地理院の前身)の部員が、山頂に三角点を設置するために苦闘する実話がもとになっている。

厳しい岩場や雪渓が多く、山頂への登攀ルートもわからない。

三角点を設置するには大量の資材を運ばなくてはならない。
そうした困難の中で、山頂に立つまでの物語だ。

その時の登頂が記録に残る剱岳の初登頂なのだが、山頂には、奈良から平安時代にかけての遥か昔に、修験者が登頂した痕跡があったというエピソードが印象的だった。

雲が美しい

室堂周辺での短時間の散策を終えて下山しようとした頃、
とても美しい雲が、青空に広がっていた。

日本三霊山にふさわしい雲だった。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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