阿寒湖 二話

その1「阿寒湖灯篭流し」。
8月16日、阿寒湖で恒例の灯篭流しが行われた。
この催しは、お盆でお迎えした先祖の霊を、再び送るためのもの。
「灯篭がきらめく」幻想的な光景を期待して、湖畔へ向かった。
この日、雄阿寒岳の頂上は雲に覆われ、風があって湖面は少し波立っていた。
気温は20度を下回って、じっとしていると寒いくらいだ。

灯篭流しは、遊覧船の船着場のとなりで準備がすすんでいた。
司会の方が、「先祖に感謝するとともに、湖の神にも感謝の念を込めて、この恒例の行事を勧めたい」と挨拶していた。
夜6時半過ぎ、参列者がそれぞれに持ち寄った灯篭を湖畔に置いて、僧侶に合わせ全員での読経が始まった。

夜7時、湖畔が闇に包まれはじめる頃、いよいよ灯篭流しが始まった。
国立公園だけに、ゴミを出したり、湖を汚すことはできない。
どのように行うのか関心があったが、こんな具合だった。
火を入れた灯篭を小船に乗せ、湖岸から50-100mほど沖合に出て、そこで流すのだ。

この日は風があって、一部の灯篭は岸辺の方にゆっくりと流れ寄ってきていた。
そのほかの灯篭は、湖上で20-30分ほど漂ったあと、船に回収されていた。
幻想的な光の風景も、短時間で終了した。
国立公園内でもあり、観光行事としてアピールするものに仕立てるのは、難しそうな感じだった。
あくまで、宗教行事として見学すべきなのだろう。
その2「特別展 マリモを守る」を見て。

阿寒湖のマリモが特別天然記念物に指定されて、今年で60周年。
それを記念して釧路市立博物館で、特別展「マリモを守る マリモ保護の歴史と現在」が開かれていた。
「阿寒湖のマリモのように、直径10センチを超える大型の球状集合に発達、群生するのは世界でもアイスランドのミーバトン湖と阿寒湖に限られる」貴重なものだと説明に書かれていた。
そして、「保護の歴史」が、写真とパネルで紹介されていた。
最初に紹介されていた人物は、川上瀧彌という人。
この人は、札幌農学校在学中の1897年(明治10)に阿寒湖で球状の藻類を発見し、和名「毬藻」として植物学雑誌に発表した人だ。

次に紹介されている人は、この人「西村真琴」だ。北海道帝国大学の水産専門部の教授をしていた当時、マリモの研究により東京帝大から理学博士号を取得している。
彼の取り組んだマリモの培養などは当時としては画期的な研究であり、今日的に見ても意義が大きいものだとのことだ。
更に、まりもの研究者としてだけでなく、東洋初の人間型ロボットを制作した人としても有名だという。
しかし、私にとっては、あの水戸黄門役で知られた西村晃(1923-1997)の父親であったという事の方が驚きだった。

調べてみると、西村晃は札幌の生まれとある。
ちょうど西村真琴が北海道帝大に奉職していた時期(1921-1927)に当たり、納得した。

これは、西村眞琴が昭和3年、京都の博覧会で発表した東洋発の人型ロボット「学天則」。
(写真左が、西村眞琴)
西村は、1927年(昭和2)北海道帝大を退官。
「科学と生物の共存」を訴えようと大阪の毎日新聞社に入社。科学欄を担当すると共に「人間のハートをもった」ロボットを造ろうと日々を製作作業に費やした。
ウィキペディアによると、このロボットは「巨大な机に人形が座ったような形で、高さ約3.5m、幅約3m。ゴムチューブによる空気圧変化を動力に、腕を動かしたり、表情を変えたりでき、全体の制御は突起の付いた回転式ドラムによって行われた」というものであったという。
この「学天則」を復元した実物大の動態模型は、大阪市立博物館で2008年から公開されているとのことだ。
親子それぞれが、確かな足跡を残した人生だったのだと思うと、羨ましくも感じる。
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