「さみしいぞ釧路」~人がいなくなるということ


老舗が閉店か

釧路市旧市街のメインストリート「北大通り」で、また一つ老舗が閉店するという話を耳にした。

お店に確認したわけではないので真偽は確かではない。

もし事実とすれば、昭和13年創業で、私も若いころからずっとみなれてきたお店だけに、とてもさみしい思いだ。

駅前から北大通

釧路駅前から、幣舞橋まで続く北大通りを撮影した。

40年前には大型店が立ち並び、交通量も多かったのだが、今では人通りもほとんどなくなってしまった。

ここも、日本の多くの中核都市で進む「シャッター通り」の街となってしまった。

旧丸三鶴屋

北大通りの核の店舗だった「丸三鶴屋デパート」は、平成8年に閉店。

後を受けて営業を続けた丸井今井デパートも平成18年で閉店し、その後シャッターは下りたまま。
跡地利用は全く進んでいない。

丸ト北村

通りの反対側で営業していた大規模店舗「丸ト北村」も、平成12年に閉店。

残った建物は、廃墟のように目抜き通りに立ちつくしている。

付近にあった「くしろデパート」などの大型店も閉店した時のまま、建物だけが残っている。

現在、北大通りで営業を続けているのは、銀行、進学塾、ホテル、そのほかのわずかな商店で、賑やかだった昔を知る者にとっては、まことに痛々しい「惨状」のように目に映る。

昔の時刻表

釧路駅構内で営業する飲食店の店頭に、昭和40年の頃の「列車時刻表」が貼られていた。

一番下のところに、阿寒町にあった雄別炭鉱と釧路を結ぶ路線が載っている。

雄別炭鉱が昭和45年に閉山になって以来、雄別は無人の地区になり、町は地図から消えてしまった。

釧路の商圏を構成していた一部が、消滅したことになる。

水産業の落ち込み

一方、こちらは釧路港の魚の水揚げ量と、水揚げ金額の推移を示したグラフ。

昭和44年から昭和60年まで、ほぼ毎年水揚げ量日本一を記録してきたが、サケ・マスの沖獲り規制やイワシの水揚げの激減などで、去年の水揚げ量は全国8位まで低下している。

さらに、水揚げの大半が大衆魚で魚価が安いため金額では、さらに順位を下げている。

風呂屋さん

港の近くにあった風呂屋さん。昔は漁船員がたくさん利用していた。

現在は、営業はしてないようだった。

昔は、町に漁船員があふれ、キャバレーも長靴に腹巻姿の男たちでにぎわった。今、キャバレーはない。

廃墟の飲み屋街

廃墟になってしまった飲み屋街も、あちこちで目に付く。

釧路市の人口は、旧阿寒町、音別町を合わせて18万人余り、私がいた当時のそれぞれの町の人口を合わせたものより3万人減っている。

北大通りの衰退は、車社会の進行によることも大きいが、地域を支える人口(旧市街に定住する人、仕事でやってくる人)が減ったことが大きい。

人口が減るということは、こういうことなのだろうと思う。

今、日本は急速に高齢化社会が進み、一方で人口の減少が進んでいる。

少子化を止める適切な手立てを早急に打たないと、日本は大変なことになってしまうのではないか。

そんな、不安を感じた。

釧路の町のさびしい現状を見て、日本という国の将来をきちんと見据える大切さを強く感じる。
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プロフィール

め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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