「ロンドンの霧」はスモッグだった

幣舞橋

霧の街・釧路のシンボル幣舞橋。

釧路と同じように「霧の街」として知られるロンドンで開かれていたオリンピックも無事、終了した。

オリンピックの最終日だった8月12日、釧路も濃い霧に包まれた。

ところが、調べてみると、ロンドンを有名にした「霧」は、実はその多くが大気汚染によるスモッグだったことが分かった。

四季の像

霧発生のメカニズムの違いは、後で触れることにして、幣舞橋の上に設置された「四季の像」を紹介しておきたい。

日本を代表する4人の彫刻家による「春、夏、秋、冬」の四季像だ。

左から「春・舟越保武」、「夏・佐藤忠良」、「秋・柳原義達」、「冬・本郷新」、いずれも今は故人となられた。

冬の像

釧路の霧は、南からの暖かい空気が冷たい海流の上を通過するときに発生し、それが移流霧となって街を覆うのだ。

6,7,8の3か月間の霧日数は、合わせておよそ50日だから、月の半分以上は霧に包まれている。

東京や札幌の20倍にもなる。

釧路川河口。岸壁

一方、ロンドンの霧は、海流による影響はあるものの、「霧の街・ロンドン」として有名にしたのは大気汚染によるスモッグだったのだという。

つまり、公害だったのだ。

古くから石炭を燃料に使っていたロンドンでは12世紀からスモッグ発生の記録があるという。

産業革命以降は石炭の煤などで大気汚染が進み、冬場、そうした空気が地表に滞留し、霧状のスモッグが発生したということだ。

公害による大規模な被害が発生した後、1956年に大気清浄法ができてからは、スモッグは急激に減っているという。

この写真は、橋の上から河口を撮影したもの。

釧路の霧は海霧だから、とても冷涼だが汚染はない。

漁船

サンマ漁船が、とても幻想的に見えた。

この夜、一緒だった地元の知人は、見慣れた霧に何の感動もなく、「これからラーメンを食べて帰る」と言って、繁華街の霧の中に消えていった。

釧路駅

釧路駅前も濃い霧に包まれていた。

40年前には、特急がこの駅を発車するときに、三浦洸一さんの「釧路の駅でさようなら」がホームに流れていた。


「釧路の駅でさようなら」

作詞:吉川静夫 作曲:豊田一雄

いつも貴方がつけていた
口紅いろの赤い灯が
挽歌の街に滲む頃
霧笛の音も泣くような
釧路の駅でさようなら 
ああ さようなら

霧の街


先輩、友人たちの送別の席では、「知床旅情」とともに必ず歌った歌だった。

最近では、水森かおりさんが唄っている。

釧路の街で青春を過ごした者にとっては、忘れられない曲だ。



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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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