伊能忠敬の住居跡があった

住居跡
江東区・門前仲町の付近を走っていると、伊能忠敬の住居跡碑に出会った。
伊能忠敬・・・正確な日本地図を作った人として誰でもその名を知っているが、知れば知るほどすごい人であったという思いが強い。
馬齢を重ねるにつれ、その思いは一層強くなる。
銅像
伊能忠敬は千葉県佐原の人。商人として成功をおさめたのち家督を息子に譲り、50歳で江戸に出て深川に居を構える。
高橋至時に弟子入りし、測量、天文学を修める。
1800年・55歳の時、蝦夷地の測量を開始、17年の歳月をかけ「大日本沿海輿地全図を完成。74歳で没。
と年表には記されている。
この像は、忠敬が測量に出かけるときは決まって参拝に訪れた富岡八幡宮に建てられたものだ。

地図展
2年前、ゆかりの深川で開かれた「復元地図展」。復元した大図(3万6000分の1)の上を歩き、忠敬の偉業を偲ぼうというものだった。(伊能大図は、1枚がほぼ1畳ほどあり、214枚で日本列島をカバーした)
つまり、214畳敷きの大広間いっぱいに、日本列島の地図が描かれていると思ってください。

一次測量
第1次測量は、このコースを180日間かけて行われた。

野付半島
この地図は、北海道東部・標津町の野付半島。知床の南に位置し、すぐ目の前には国後島を望む地だ。
第1次測量の最終調査地点付近にあたる。
40年ほど前に何度か行ったところなので「蝦夷地であったその当時、歩いてあの地まで行ったのか」と驚くと同時に、その正確さにも感心する。
石川県能登
そしてこれは、石川県能登地方の地図。

「人生、いくつになっても挑戦」を地で行く生き方は、まさに中高年のスーパーヒーローだ。
墓
そして台東区の東上野にある源空寺には、伊能忠敬の墓のすぐそばに、年下ではありながら師であった高橋至時もまた眠っている。

高橋至時の案内板には、「二人は、後世、日本地図の父母と呼ばれている」と書かれていた。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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