「恨みのひき臼」~北海道開拓悲話

紫雲台

8月1日の釧路は、太平洋から霧が入り込み、日中の最高気温は22度7分、涼しい1日だった。

釧路は夏も涼しいが、冬も寒い。

真冬の最低気温は氷点下20度前後まで冷え込むから、開拓のために道東に入植した人たちの、厳しい自然との闘いは筆舌に尽くしがたいものがあった。

墓地

太平洋を望む高台にある釧路市の紫雲台墓地。

開拓に従事した多くの人たちの墓がある。

今回は、四国・香川県から北の大地での農業経営を夢見てやってきた移民団の話を紹介したい。

40年前に出版された「新釧路市史」の中に「恨みのひき臼」という題で紹介されている悲話だ。

高岡家墓石

この墓には、明治25年、香川県から道東に入植した11戸・47人の移民団「貫誠社」のリーダーであった高岡縫殿という人物が眠っている。

香川県木田郡牟礼村(当時)の神官の家に生まれた高岡は、入植した時は旧制高松中学を卒業したばかりの19歳だった。

香川は、讃岐三白と言って、棉、甘蔗(サトウキビ)、塩が特産品として知られていた。

塘路湖

写真は塘路湖、周囲には、今も原生林が深々と残っている。

高岡らの「貫誠社」の一行47名は、釧路から少し内陸の塘路村(今の標茶町)オンネムの国有未開地80万坪の払い下げを受けた。

内陸地方は、釧路と比べれば夏の気温は高く暑い日もあるが、それでも本州と比べれば夏は短い。

一行は、3年分の食料と、製糖のための機械・器具などを持って現地に入り、集団生活で開拓にとりくむ。

北の大地で甘蔗の栽培を目指していたのだった。

ところが、払い下げを受けた原野はヨシが密生し、原生林におおわれている。

蚊やアブに悩まされ、木を伐り、根っこを掘り出すのに苦労する中で、一人去り二人去りしてゆく。

さらに12月には火災のため、一切を失い、移民団は離散を余儀なくされてしまう。

北の大地で、甘蔗栽培をしようという開拓の夢は、もろくも崩れ去ってしまったのだった。

台座がひき臼

墓石の台座に使われている石は、故郷から持ってきたひき臼だ。

一回も使われることなく、墓石の一部になって静かにたたずんでいる。

墓地の管理人の方の話だと、地震で、台座がずれてしまったという。

本来、墓石ではなかったことで、揺れの影響を受けやすかったのかもしれない。


移民団の無念の思いが、伝わってくるようだ。

追記)

「標茶町史」によると、高岡縫殿は塘路での開拓に失敗・離散したあと、塘路尋常小学校の教師を学校が閉鎖される明治39年まで勤めた。

当時は、まだ開拓への熱意を持ち続けていて、サルボ番外地・トーロ原野の貸付を出願していた。


その後、釧路に移り北大通りで衣類店を経営。

昭和12年に長男のいる東京に移り、昭和21年に74歳で亡くなったと記されていた。
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め組のかった

Author:め組のかった
「惑わず」の年から走り始めて四半世紀。還暦で初フルマラソンを走り、2010年には66キロのウルトラを制限時間ギリギリで完走。現在も月に200キロ以上を目標に走り込みながら、写真を撮っている。
このブログは、ジョギング中に撮り貯めた写真によるフォトエッセイを目指している。
タイトルは「おくのほそ道」をもじってみたのだが、さて、わかるかなあ?

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